序曲(64) 金鶴泳

日付: 2010年03月11日 10時26分

 円覚寺をひとめぐりしたあと、祥一と洋子は、明月院、建長寺、鶴岡八幡宮、寿福寺などを経て、鎌倉駅前に出た。
 明月院は、紫陽花(あじさい)寺として知られているが、落ちずにいる花弁はすでにドライフラワーのようになっていて、葉も枯れかかっていた。鶴岡八幡宮の境内に大きな銀杏(いちょう)の木があり、落葉が掃かれもせずに一面に散らばっている眺めが壮観だった。寿福寺の参道の光景も印象に残ったが、周囲の山々の樹木の眺めも素晴らしかった。
 初冬というより、まだ晩秋といった趣きがあり、緑葉、紅葉、黄葉が美しく調和していた。紅葉というより、すでに鉄錆色に近かったが、中には真紅を通り越して、黒ずんだ赤色を呈しているもみじも見られ、その色は回りの黄葉の中でひときわ鮮烈だった。
 鎌倉に出ると、洋子はさすがに疲れた様子だった。
「疲れたかい?」
「ええ、ちょっと」
 陽はだいぶ傾いていたが、まだ沈んでいなかった。二人は駅の近くのコーヒー店で少し休んだ。
 洋子は、このまま鎌倉駅から東京に戻るものと考えたらしい。
「こんどの東京行きの電車は何時なの」
 ときいた。
「ちょっと七里ヶ浜に寄って行かないか」
 と祥一はいった。


 前に七里ヶ浜を歩いたときの海の眺めが祥一の中にある印象を残していた。何の変哲もない寂しい浜である。その寂しさが心に残っていた。
「いまから?」
「まだ陽は浅いよ」
 とはいえ、歩いて行ったら、かなりの距離である。
 コーヒー店を出て、駅前に出ると、祥一はタクシーを拾った。そして七里ヶ浜まで走らせた。
「ここが七里ヶ浜だ」
「まあ、素敵なところねえ」
 浜辺に立ち、洋子は頬笑んだ。荒い波が打ち寄せていた。
 敦賀の海は、湾になっているために、波は荒くない。風雨の強いときとか、台風のときなどに荒れるだけで、ふだんはプールのように静かである。
 波が高いのに、そして七里ヶ浜は遊泳禁止区域のはずなのに、何人かの若者が泳いでいる。浜辺に立って、投げ釣りをしている人もいた。
 祥一と洋子は、浜辺を歩いた。波打ち際にはいくつもの海藻が打ち上げられていた。大きなくらげの死骸も混じっていた。
 浜辺の途中で、二人は腰を下ろし、海を見つめた。沖を、小さな漁船が、ときどき通りがかった。
 しかし、彼が主に見ていたのは、海の西向こうの遠い空だった。陽はすでに水平線の彼方に沈んでいたが、その名残りの光が空に輝いている。それは、空全体から見れば、小さな塊りだった。橙色(だいだいいろ)の光の塊りだった。
 やがて祥一は、その光の塊りに目を据えた。橙色はみるみるうちに冬特有の茜(あかね)色に変わって行き、その光の塊りに視線を向けながら、彼は、自分の内面の夕焼け空を見ていた。子供の日の夕方、警察署に留置されている父に差し入れの弁当を運んでいるときに目にした夕焼け空。父との諍(いさかい)に耐えかね、家出した母の行方を捜しつつ目にした夕焼け空。やはり子供のとき、遊び疲れて、暗い家に帰る際に重い気持で目にした夕焼け空。ひとつひとつが辛い記憶として祥一の中に残っていた。

1984年9月18日4面


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