朴在圭回顧録=「急ぎすぎた」首脳会談

【連載】 北韓研究40年~南北会談10年の回顧④
日付: 2010年03月03日 00時00分

 朴在圭は統一部長官だった2000年、第1次南北首脳会談と6・15宣言採択の実務責任者だった。6・15宣言には、韓国の連合制案と北のゆるやかな段階での連邦制案の共通性を認め、「この方向で統一を志向していく」とした第2項がある。連邦制統一案は北朝鮮の案であり、そのため保守派は金大中を「親北左派社会主義者」と批判する。

 朴は言う。
 「近くで見た金大統領は非常に几帳面かつ慎重で、客観性を重視する政治人と記憶しています。対北政策推進において、私より控え目なアプローチを貫く立場でした。首脳会談成功のための土台交渉を除き、統一部にほとんど一任していました」
 ところが統一法案をめぐり、南北は容易に合意に至れなかった。非常に敏感な事案であり、韓国側も内部で論議を繰り返したが、結論を下すことはできなかった。

 最終決定を下したのは金大中だった。朴は「南北の和解・協力と平和共存への道がこの問題一つで閉ざされてはならないと判断したのでしょう」と振り返る。朴自身、特に問題とされた第2項について「連邦制統一案に同調するものではなく、互いの統一方案に共通性を認めたもので、相互の体制認定と平和共存に対する合意でした」と強調する。長期的ビジョンに立って統一を見据え、中間段階を設けて南と北の共存・協力をはかる必要があるという現実認識を反映した結果という解釈だ。

 6・15宣言は、その7年後に結ばれた10・4宣言とともに、北朝鮮が韓国に和解・協力を呼びかける際の根拠になった。同時に「太陽政策」支持者にとって、対北支援の理由付けには最適の材料になった。

 しかし、中道保守の李明博政権が誕生し、北朝鮮に核放棄なき支援をしないという態度を表明すると、2つの南北宣言は反対派の対政府批判の道具として使われるようになる。そして現在、朴が目指した和解・協力路線の統一は一向に進んでいない。

 「第2次南北首脳会談の時、あまりにも急ぎすぎました。次期政権が履行できない合意が多く、結果的に不信を自ら招いた側面があります」

 太陽政策は、北住民に直接的恩恵がほとんどない反面、政権の体制強化を助長するという“ジレンマ的政策"だという批判がある。支援物資は軍に回され、敵の軍事力を強化させただけという証言も相次いでいる。

 これに対し朴は「政権と住民が分離されているという主張は、冷戦時代の宣伝・扇動の方便にすぎない」と分析。ポスト冷戦期の和解・協力時代には「政府と民間が交流する『ツー・トラック』アプローチが効率的」と主張する。
 朴は、韓半島情勢と南北関係は今年、大きな変化を遂げると見ている。第3次南北首脳会談を含めた南北対話が行われ、核問題解決のための米朝間交渉も進展すると考えている。 

※ この連載は朴氏の北朝鮮・統一研究をテーマに扱います。本紙の主張と一致しない記述もあります。

(敬称略、ソウル=李民晧)


閉じる