二人はアパートを出た。バスで西荻窪の駅に戻り、電車で吉祥寺に出た。やはり土曜日の午後のせいで、吉祥寺の駅の周辺も混雑がひどかった。熱気がむんむんしていた。
「こんど、敦賀には、いつ頃帰るつもりなの?」
吉祥寺駅北口の雑踏の中で、列に並びながら保谷行きのバスを待っていたとき、洋子がきいた。
「来月に入ったら帰ろうかと思っている」
留年申なのだから、夏休みも何もない。いつ帰省してもいいわけだが、祥一は何となく帰省するのが億劫(おっくう)だった。家に帰ってもロクなことがない。暗い思いをさせられるか、心に傷を受けるか、せいぜいのところ退屈するぐらいのものだ。
「わたし、来月はじめ頃に、五日ほど夏休みがとれるの。敦賀にはお正月に帰ったきりだから、そのとき敦賀に帰るつもりでいるんだけど、一緒に帰れないかしら」
帰省するのが億劫だとはいえ、大学は夏休みということになっているのだから、やはり一応は、帰省しないわけにいくまい。去年も、おととしも、夏休みにはきちんと帰省していた。今年だけ帰らないというのは不自然だ。一週間ぐらいでも、顔を出すつもりでいた。
「来月はじめの、何日頃になる?」
祥一はたずねた。
「いまのところ、まだはっきりしないのよ。もう何日かすれば、はっきりした日にちが決まると思うんだけど」
「ぼくの方はいつでもいいんだ。君も帰るんだったら、一緒に帰ることにしようか」
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洋子が一緒であれば、帰省の車中の億劫さも多少は薄れるだろう。
「そうして下さる?一緒に帰れたら、楽しいわ」
そして、洋子はちょっと考えてから、
「来週の木曜日にお電話を下さらない?その頃にはもう決まっていると思うの」
「木曜日だね。木曜の午後に電話するよ」
保谷行きのバスがやってきた。吉祥寺駅が終点で、折り返しの保谷行きになるために、乗っていた客はすべて降りる。降り切ったところで、行列に並んでいた祥一たちはバスに乗り込んで行った。
行列は長かったけれども、彼たちは前の方に並んでいたので、座席に坐ることができた。行列がすべて乗り終ると、車内はほぼ満員だった。
「込むわね」
と洋子がいった。
「土曜日のせいだろう」
と洋一はいった。
バスはすぐに発車したが、窓から吹き込んでくる風は、涼しいというより、むしろ暑苦しい。
二人はしばらく黙ったままバスに揺られていた。
洋子と会うようになったのは二年前からだが、彼女の部屋を訪れるようになったのは、あの直江津旅行から帰って数日後いらいである。それまでは、ごく普通の友達同士としてつき合っていた。
一緒に映画を観たり、食事をしたり、喫茶店でコーヒーを飲みながら話し込んだり、ごくたまに演劇や音楽会に行ったり、そんな程度の平凡なつき合いだった。ただいちどだけ、少し遠出をして、横須賀線で北鎌倉に行き、鎌倉を経て、七里ヶ浜で一緒に海を見たことがある。
1984年9月14日4面