趙甲済
第2次世界大戦後、ギリシャは共産軍の蠢動で内戦を戦った。トルーマン米大統領が1947年に発表した「トルーマン・ドクトリン」もソ連の威嚇に直面したギリシャとトルコに対する支援を宣言したものだった。
トルーマンのおかげで共産化されなかったギリシャは、「6.25南侵戦争」が勃発するや国連軍の一員として韓国に空軍と陸軍を送った。7機の輸送機で構成された空軍と約1000人の歩兵大隊だった。ギリシャ陸軍は米軍部隊に配属されて戦った。
休戦直前の1953年6月17~18日、ギリシャ軍部隊は米軍と共に鉄原付近の「鉄の三角地帯」の高地を中共軍の攻勢から防御した。何回も肉弾戦まで戦った。この戦闘でギリシャ軍と米軍は戦死114人、負傷419人、中共軍は戦死者4500人を出した。ギリシャ遠征軍は韓国戦線で戦死者186人、負傷者610人を記録した。
もし、ギリシャが再び危機に陥れば、韓国は連隊級の戦闘部隊を送って1000人の死傷者を出す戦闘を敢行するだろうか? 「それは昔のことで、今は違う」といいながら派兵をしないと、そのような国は国際的に軽蔑の対象になり、そういう国の国民は拉致の標的になる。
*ギリシャ軍の参戦記念碑
建立日1974.10.3(驪州郡加南面五山里)
碑文の内容
「幸福は自由の中にあり、自由は勇気の中に宿るという信念を持ったギリシャの勇士たち! 正義のため献身した186人の高貴な生命の上に光栄あれ!」