東西冷戦の終了、そして統一部長官就任

【連載】朴在圭 北韓研究40年~南北会談10年の回顧③
日付: 2010年02月10日 00時00分

 そう簡単に終わることはないと見られていた東西冷戦体制は、90年代初めにもろくも崩れ去った。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一。東側諸国の中心だったソ連は解体されてしまった。国際秩序がポスト冷戦の構図に変わりゆく中で、韓半島にも雪解けが訪れようとしていた。

 91年に採択された南北基本合意書は、南北統一のプロセスを含んだ「大章典」と呼ばれ、高い評価を得た。しかし、北朝鮮は核の脅威と「ソウル火の海論」で韓国に揺さぶりをかけた。南北合意はあえなく死文書と化した。「北韓学」の第一世代である朴在圭・慶南大総長は当時、南北韓の状況を次のように分析していた。

 「金正日委員長はこう言ったそうです。『南北基本合意書の精神と内容は良いが現実性に乏しい』と。合意書は北韓が東欧圏の連鎖的崩壊に脅威を感じ、体制の護持と生存のための戦略として韓国に和解を呼びかけたものと見ています。しかしその後『火の海発言』があり、今では(合意書に)言及さえしません。南北首脳が直接署名しなかったため、基本合意の拘束力は弱いのです」

 北朝鮮は94年7月に金日成が死亡し、深刻な食糧難に直面する。大量の餓死者が出て、「コッチェビ」と呼ばれる浮浪児と女性の脱北が相次いだ。北の窮状に接した国内外の専門家は、韓国主導の「吸収統一論」を議論しはじめた。

 「ドイツと韓半島を比べると、そうは思いませんでした。ドイツは東西の国民間で統一に対するコンセンサスが形成されていたし、70年から首脳会談が定例化されていた。東ドイツは西ドイツから多くの経済的支援を受けていました。そのため東西ドイツは国民の力によってベルリンの壁を崩したのです。しかし韓半島は全然違いました。北韓の金正日独裁体制は基盤が非常に堅固だったし、朝鮮戦争と冷戦対立によって相互不信の壁が非常に厚かった」

 朴はよく知られた対北包容論者だ。南北が平和的統一をなす過程で、和解・協力段階を経なければならず、そのためには北朝鮮を包容して南北が互いに信頼関係を築く時間が必要だと信じていた。朴は太陽政策を推進した金大中政権時には統一部長官を務めた。

 「99年12月、車で移動中に、大統領府から『急用だ』と電話がかかってきました。電話を受けたら金大中大統領でした。金大統領は『画期的に南北関係を変えるためには、朴総長が最高の適任者だと思う。統一部長官職を引き受けてほしい』といわれました」
 朴は金大統領とあいさつを交わす程度の間柄だったという。朴は冷戦構造が残る最後の地域である韓半島の平和定着と統一のため、不信と対決の南北関係を和解・協力関係に変えなければならないという信念で統一部長官を引き受ける決心をした。

(敬称略、ソウル=李民晧)


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