李春根
平壌側が2010年1月1日発表した「新年共同社説」は特異だった。今まで毎年発表された北韓側の「新年共同社説」が例外なく韓国政府を打倒の対象として激烈に非難したのとは違って、対南誹謗と対米誹謗が全くない驚くべきものだった。軍事を強調する代わり、軽工業の発展と住民の生活に関心を集中するという論調で、対話を通じて南・北韓の問題を解決して行こうともいうようなものだった。2010年の「新年共同社説」は久しぶりの対南平和攻勢で、この例外的な「共同社説」を見た相当数の韓国人は、2010年は何か南北関係に良いことがありそうだと期待した。
だが、北韓側の積極的な対南平和攻勢は今まで何度もあったし、「6.25南侵戦争」が起きる直前の1950年初夏の北側の平和攻勢は北韓の対南平和攻勢歴史の白眉と言えるだろう。北韓側の戦略と戦術は、いつも極度の柔軟性を見せながら自由自在に変化できる。無制限の権力を持った神政的独裁者が統治する国が、戦略・戦術を180度変えることは難しいことでない。
北韓は、南韓住民を戸惑わせた「新年共同社説」を発表したその日、「新年共同社説」よりむしろ北韓側の対南戦略をもっと正確で具体的に表現する「2010年反帝民戦救国戦線の新年辞説」も一緒に発表した。「反帝民戦救国戦線」の「新年社説」は、北韓側の対南戦略のもっと具体的な表現であり、北韓側の対南戦略を分析するためには必ず読まなければならない文書だ。
「反帝民戦救国戦線」の2010年新年辞説は、「去年、歴史的な(南・北間の)共同宣言らを否定し、「6.15時代」を破綻させようとする内外の反統一勢力らの策動はもっと悪辣に敢行された。アメリカは、自主統一へと進むわが民族の力強い前進を阻止するため、侵略的な合同軍事演習と武力増強の騒動を一層発狂的に展開しながら、韓半島情勢を最悪の状態へ追い込んだ」と情勢を判断した後、今年を「反戦・平和守護闘争において画期的な転換を成遂げるべき年」と規定した。今年の目標を達成するため、「各界の民衆は、戦争の常時的な根源になっている駐韓米軍を一日も早く追い出し、韓半島の恒久的な平和保障体系を樹立するためもっと果敢に闘争しなければならない。同時に、同族を『主敵』として『先制打撃』の妄言を喋り、北侵略戦争策動に血眼になって暴れる親米・好転勢力らを民族の名をもって断固と審判せねばならない」と扇動している。
「2010年の新年共同社説」を読んで北韓側が変わったと信じる人々は、同じ日発表された「反帝民戦救国戦線」の新年社説も一緒に読まなければならない。北韓側が真に変わったかどうかは、何時でも自由自在に変わられる北韓側の対南戦術・戦略に(表面的な)変化があるかの可否で判断されるべきことでない。北韓側が真に変わったのかは、北韓側の「国家目標」が変わったのかどうかの可否をもって判断されねばならないことだ。
北韓の国家目標とは、まず金正日が統治する国家を丈夫に維持し、さらに、北韓側が主導する韓半島の統一を成遂げることだ。このような不変の国家目標を達成するため、北韓側は対話もし、武力を誇示もする。北韓側が2010年1月1日発表した文書のどこにも、北韓の「国家目標」が変わったと言える何の根拠がない。
北韓側は1月1日、全く相反する二つの「共同宣言」を発表した後、1月下旬までの短い期間中ほとんどおろおろ、右往左往と言えるほど対南政策において水風呂と温湯を行き来している。
「新年共同社説」に対して南韓が好意的な反応を見せる中、1月7日、北韓の戦車部隊は南韓を攻撃する仮想訓練を展開した。北韓側は南韓の後方深い所の地名が書かれた立札を通過する北韓軍装甲車両の写真を公開しながらわれわれを威嚇した。それから、1月11日、北韓側は金日成の遺言である、人民に「白いご飯と肉のスープを食べさせるのに失敗した」と告白し、停戦協定を平和協定に変える会談を開始しようと提案した。2010年が始まった後10日間で水風呂と温湯が3回も変わったのだ。そして、大韓民国政府が「北韓の急変事態」に備えた政策を持っているという報道にかっとなった北韓側は1月15日「聖戦」を行うとして興奮した。1月17日には金正日が陸海空軍の合同訓練を参観したとして240mm放射砲(多連装ロケット砲)写真を公開した。
大韓民国国防長官は、1月20日、北韓側から核攻撃の兆候が見られると先制打撃すると言及した。驚くべきことに北韓側は1月23日、金永南名義で「6者会談」に参加するのに必要な三つの条件を提示する声明を発表した。その翌日の1月24日、はじめて北韓側は韓国国防長官の先制打撃計画を「宣戦布告」と見なして「南韓の主要対象を根こそぎ抉り出す」と大言を吐いた。南韓の主要対象を抉り出すと言ったその翌日の1月25日、北韓側は金剛山観光を再開するための議論を始めようという通知文を送った。まさにその翌日の1月26日、北韓側は「海上禁止区域」を宣布し、1月27-28日、北方限界線(NLL)を越えない水域内に100発以上の大砲を発射した。1月28日、大砲を発射しながら、北韓側はアメリカに(米軍の)遺体発掘のための対話を提案した。
このように北韓側の右往左往する態度に対して二つの相反する評価がある。北韓側が水風呂と温湯を絶えず行ったり来たりするのは北韓側の伝統的な和戦両面政策であり、北韓の政策決定構造に何の問題もないという分析がその一つだ。他の一つは、北韓側の政策決定過程に何か問題が生じたのが確実だと見る立場だ。北韓のような一党独裁国家の対外政策は全て首領の裁可を得て行われるのに、そのように速く冷・温の周期が代わるのは何か正常ではないと見るのだ。
一つ確実なことがある。金正日政権が途方もなく心身が焦る状態であるという点だ。未来に対して不安がって自信がない様子だ。どうしたらいいか分からないような姿を見せていることだ。
昨年の年末、北韓当局者らは貨幣改革を行って真に衝撃的なことに直面した。北韓は国民を完ぺきに抑圧し、統制できる仕組みを持つ全体主義独裁国家(Totalitarian Autocracy)の典型だった。 国民の行動の一挙手一投足まで監視できるのはもちろん、住民の思想までも統制できる国だった。国民は誰でも北韓政権がやるあらゆることに絶対賛成と声高く叫ばねばならない完全統制の兵営国家だった。
そのような国のおばさんたちが、国家保衛部の軍官らに指差しと悪口を言いながら食付く国に急変したという事実は、金正日政権には衝撃的だったはずだ。その後、北韓側は急激に右往左往する態度を見せており、このような様子を見るといよいよ韓半島に「統一政局」の時代が近づいたのを感じざるを得ない。
民族の念願である統一は、ある日一瞬にしてなされはしない。1945年解放後、本当に混乱して迂余曲折の長い過程、すなわち「解放政局」を3年も体験してから、われわれはやっと半分だけの国家を建設することができた。「解放政局」に対するわが民族の準備が足りなかったためだった。今や北韓は終末に向かう旅路を始め、これからの韓半島の情勢は必然的に急激な変動の渦中に陥るはずだ。よく話してきた「急変事態」が次第に現実として近づいているのだ。変化の時代は不安定と混沌を齎す可能性が非常に高い。
われわれは、やってくる時代を「統一政局」と規定して対応しなければならない。われわれがよく準備するかどうかにより、「統一政局」の時期は大幅短縮され、平和統一へ帰結されるだろう。もちろん、われわれがきちんと準備してからの対応ができない場合、韓半島は長期的内乱の渦中に陥り得るし、周辺の外勢の作動結果によっては永久分断に帰結されることもあり得る。われわれに最も望ましい結果である韓半島の自由民主の平和統一を成就するためには、われわれはやってくる時期を「統一政局」と規定し、これに徹底に備えなければならない。
この文は「未来韓国」2010年2月第1号の「李春根博士の戦略の話」コラムに掲載された文です。