浦項市特集④~「クァメギ」の異名 林承浩市長インタビュー

「迎日湾ルネッサンス」を推進中
日付: 2010年01月27日 00時00分

―非常にサッカーへの関心が高いと伺いました。サッカーと浦項市との関係は。
 「06年7月の就任当時、地元チーム浦項スティーラースのホーム観客動員数は1200人でした。2万人収容のスタジアムはがらがらでした。オーナー企業であるポスコ(POSCO)の業績も市民の関心も低く、悩みの種でした。サッカーチームの予算があれば、世界最高のオーケストラを作れるといいますが、私は市民の団結と和合にサッカーほどのものはないと思ったのです。方法は一つ。サッカー熱を高めればいい。その時からスティーラースのホームゲームに浦項市管内の公務員を全員招集したのです」

―反発が大きかったのでは。
 「市長の“軍事独裁"と批判を受けました。しかし、サッカー愛を高める方法がほかにあったでしょうか。職員を招集し、企業人と会えば『社員をスタジアムに連れてきてください』と頼みました。今では市民が足を運ぶようになり、平均観客数は1万3000人を超えています。招集令は解除しました(笑い)」

―スポーツ万能ということですが、サッカーもお上手ですか。
 「ボールを蹴るのは苦手ですが、応援は上手です。『朴承浩不敗神話』もあるのですよ。私が観戦するたびにスティーラースが勝つのです。監督も選手も『市長は来ているか』とチェックするほどですよ。(笑い)」

―昨年は、スティーラースにとっては実りの多い年でした。
 「09年の浦項は、スティーラースのおかげで幸せな一年でした。AFC(アジアサッカー連盟)チャンピオンズリーグ優勝。その後のFIFAクラブワールドカップでは3位になりました。浦項市誕生以来、あれほど世界に浦項ブランドを知らしめたのは初めてでしょう」

―ニックネームは「クァメギ」(ニシンやサンマを潮風で乾燥させたもの)市長らしいですね。
 「クァメギは市民の懐を暖めただけでなく、浦項市の顔でもあります。全国どこでもクァメギ店がない所はありません。米国、日本、中国、モンゴル、ロシアに輸出されるまでになりました。昨年は東京でクァメギパーティーを開きました。スティーラースがAFCチャンピオンズリーグで優勝した記念だったのですが、日本の人は『スゴイ』を連発していました」

―市内の九龍浦にあった日本人村を修復したきっかけは。
 「私は韓日交流史の現場を保存しなければならないという信念を持っています。韓国で過去の日本の痕跡を見つけるのは大変です。九龍浦にある日本人村が唯一の場所ではないでしょうか。現在、旧日本人家屋は47棟残っていますが、ほとんどは老朽化しています」

―家屋復元に反対はなかったのですか。
 「『親日派』といわれることもありました。しかし、隣国である日本の漁夫と苦楽をともにした歴史の現場を捨ておくのは間違いです。現地を20回以上踏査するうち、『必ず修復しなければならない』と感じました。日本との親善を口だけでなく、行動で実現することが重要なのです」

―昨年、九龍浦の日本人村のパンフレットを作りましたね。その後の反応は。
 「日本から大学生が研修旅行に来て、マスコミの取材を立て続けに受けました。私はまず、ストーリーがなければいけないと考えました。日本人が住んだという事実は知られていても、彼らがなぜ九龍浦に居を構え、どう暮したのかを知らなければならないのです。うわさをたよりに探してみると、日本に帰った元住民の方々が『九龍浦会』という集まりまで作っていらっしゃった。浦項と韓国に対する思い出を忘れていないのです。彼らの証言を一つひとつまとめて整理したのが、そのパンフレットです」

―九龍浦以外にも浦項と日本の間には格別の縁があるらしいですが。
 「韓国の古史書『三国遺事』にある『延烏郎と細烏女の伝説』ですね。海辺の岩に乗って日本に行ってしまった夫のヨンオランを追って、妻のセオニョも浦項から日本に渡ったという。浦項と日本の縁は古代からあったのです。韓国から直線距離で計算すれば、本州まで一番近い都市がまさに浦項市なのです」

―浦項市職員全員に日本研修をさせるらしいですね。
 「日本は韓国より市民意識も経済力も優れています。一番近くにある日本から学ぶことは多いです。2年前、鳥取県米子市で開かれた環東海(日本海)圏市場会議に参加しましたが、私一人が日本を見るのではなく、我が市の職員にも見てもらいたいと思いました。韓国には『見るほど感じて、感じるほど行動する』という言葉があります。絵や写真で理解することと実物を見て触れるのでは天と地の差があります」

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 浦項市は08年10月から福岡で2000人の市職員全員に研修を受けさせている。韓国の324地方自治体のうち、全職員の海外研修を実施したのは浦項市だけだ。昨年は日本担当チームを新設。これもまた、全国の自治体で初の試みだ。張正述日本チーム長は「職員のアイディアが豊かになった。浦項市職員としてのプライドも高くなった」と話す。


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―浦項の魅力は何でしょうか。
 「煙突(工業)のイメージは昔の話です。全国でもこんなに美しい都市は見つけにくいでしょう。山と森、海が調和しています、浦項沖は暖流と寒流がぶつかる好漁場で、新鮮な海産物がたくさんとれます。竹島市場に並ぶ生け簀は壮観。全国最大規模です。韓国で水揚げされるズワイガニの半分以上が浦項産です。韓半島で太陽が一番早く昇る虎尾岬と韓国経済近代化のさきがけとなったポスコもあります。浦項を訪れる方は、みな驚嘆を禁じえません」

―21世紀の海洋時代を主導する世界一流都市建設のために「迎日湾ルネッサンス」プロジェクトを始めました。プロジェクト成功のカギは。
 「投資の誘致です。基盤施設は完成に向かっています。迎日湾新港が完工し、2014年には港までの直通鉄道が開通します。そうなればソウルから浦項まで1時間50分で来られるようになります。嶺南圏(大邱と慶尚北道)のみならず首都圏まで物流をカバーできるのです」

―企業にアピールしたい浦項の魅力は。
 「世界どの都市にも劣らない立派なインフラが整っていることです。質の高い労働者を比較的安いコストで雇用することも可能です。敷地の無償賃貸100年、地方税の15年免税、無関税といったインセンティブシステムも整っています。最近、日本のあるグループ企業のCEOに浦項への投資メリットを説明しました。大変驚いていました。大韓民国の環東海中心都市、浦項にぜひ投資してください。浦項に遊びに来てください。心より最高のおもてなしをいたします」

 

◇朴承浩(パク・スンホ) 

 1957年8月5日、慶尚北道・浦項市生まれ。83~88年、ソウルオリンピック組織委員会に在職。94年に奉化郡郡守就任、政治家としてスタート。05年から慶尚北道・公務員教育院長。浦項国際化フォーラム共同代表も務める。06年にハンナラ党から出馬して第5代浦項市市長に当選。

 


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