張真晟(脱北詩人、統戦部出身)
最近、平壌の国家保衛部が全国の闇ドル両替屋たちに対して大々的な検挙に乗出した。
これは大物の闇両替屋らのリストを予め作成した上で全国的にほぼ同じ時刻に行われた。これは北の全土にクモの巣のように繋がっている外貨の闇取引市場を根源的に閉鎖するための北韓政権によるいわゆる「市場クーデター」だ。
北韓で公開的な外貨取引は1989年から始まった。ソウルオリンピックに対抗して、1989年の「世界青年学生祝典」を準備した平壌は、外国人が北韓国内で外貨を使用できるように初めて「外貨で換えた札」を作った。当時、北側が策定した「外貨で換えた札」とドルとの為替レートは2:1だった。1ドルに「外貨で換えた札」2ウォンで交換できた。札の色だけが違う北韓札(ウォン)に、「外貨で換えた札」という「朝鮮中央銀行」名義の印章が印刷された。
「外貨で換えた札」は、印刷から預金および貸し出しまでを金正日の妹の金敬姫が運営する「統一発展銀行」が管理した。平壌に外貨商店が急速に増えたのもまさに「外貨で換えた札」の流通のためだった。「統一発展銀行」は、制限的ではあったものの、他国の銀行らと初めて信用取引を認められた北韓最初・唯一の「グローバルな銀行」でもあった。
朝総連(日本)傘下の「朝銀信用組合」から持ってきた6億円が初期の投資資金だったが、実はこのため後に朝総連の金庫だった「朝銀信用組合」が崩壊し、朝総連組織全体のマヒに発展する。
ソウルオリンピックはお金を儲けた祭りだったが、「第13次世界青年学生祝典」は借金のお祭りだった。祝典の実益も無かったが、計画の当初から全過程を通じて「金父子の神格化」に焦点を合わせて企画されたため、以前この祝典を主催したどの国より損害(赤字)が大きくなった。
「平壌祝典」を通じて稼いだお金より、「外貨で換えた札」の発行に使った外貨の損害が大きかった。
結局、北韓政権は「平壌祝典」用として作った「外貨に換えた札」をその後も使用し続けざるを得なくなった。もちろん、ドルと「外貨で換えた札」との為替レートは1:10に拡大するようになった。このインフレ増幅させたのは他でもない金正日自身だった。
朝総連の悩みは眼中にもなく、金正日は無料で得た外貨のように「自分の王朝の神格化」に「外貨で換えた札」をむやみに使った。中央機関らが必要とした「外貨決済」はもちろん、自分の誕生日などに側近らのレベルに合わせて「外貨で換えた札」を幾束ずつばら撒いた。
独裁政権と金正日の名で「統一発展銀行」から引出したお金だが、北のような独裁国家に何の信用もあるはずがない。金正日の秘密資金管理部署である「38号室」が「統一発展銀行」にお金(外貨)を入金させない分ほど、為替レートが雪だるまのように膨らんで落ちた。後には「外貨で換えた札」が次第に「政権の管理」から離れて、「個人」が保有したドルによって価値が規定され、取引された。
一日も何十ウォンずつ落ちる「外貨で換えた札」の為替レート変動のためとうてい採算が合わなくなった外貨商店らでは、次第に「外貨で換えた札」を断るようになり、これは「札」の価値暴落をさらに深化させた。結局、ドルとの為替レートが2:1で始まった「外貨で換えた札」は、1997年ごろ7000:1になり、ついに紙屑になって北韓の貨幣歴史から永遠に消えることになった。
その時から、北韓の外貨との交換はドルと北韓ウォン貨の直接交換になった。
それに、300万人の餓死者を出した「苦難の行軍」と共に市場が拡大するや、北韓社会に対するドルの支配力はさらに強化された。国内での商品生産がほとんど空白状態の北韓へ中国商品が押寄せ、代わりにすでに北韓のウォン貨を飲み込んだドルは中国へ吸い込まれていった。
「外貨で換えた札」と同様に、150:1で始まった北韓ウォン貨とドルの為替レートは、2009年初めには4000:1にまでなり、月給2千ウォンの北韓の平均的労働者は40万ウォンを持ってやっと100ドルを手にすることができる状態になった。北韓政権にとって、アメリカは理念の敵である同時に資本の仇でもあった。
「市場価格」を認めざるを得なかった北韓政権は、2000年「7.1措置」の発表とともに市場価格を反映した賃金策定を断行した。これは市場によるインフレを認め、ウォン貨の価値を政権自らが暴落させたも同然だった。だが、独裁を万能と考える金正日はまた誤判した。
賃金を市場の価格に合わせ、代わりに市場を押さえれば貨幣の価値を護られると考えたが、市場はむしろ増えたお金で活性化し、商品価格は天井知らずに跳ね上がった。(生産でなく)輸入対消費という不均衡的な経済構造では当然のことである。
強権をもっては外貨の闇取引を遮断できないことを認めた北韓政権は、2001年すべての市場に正式の外貨両替所を設置するようにした。これは金正日が初めて自分の独裁の限界を感じた鬱憤の日でもあるだろう。闇市の為替レートを追って北韓の中央銀行は頑張り続けたが、数日も経たないうちに諦めざるを得なくなった。
理由は単純だ。北韓に商品を供給する中国商人たちがどうして北韓政権にドルを奪われるだろうか。彼らによって市場の商品価格が策定され、また貨幣の価値も規定されるのに、生産性や循環構造を全く持たない北韓の内閣が、何の力で商品を独占した中国人らに勝てるのか。
北韓政権がこの時期に偽造ドルを北韓の貿易会社らに義務的に支給したのも、もしかしたら中国と北韓市場との「外貨の信用」を破壊するためだったかも知れない。当時、アメリカによる偽造ドルの問題化のため、北韓内に溜まった「スーパーノート」を処理できなかった金正日の秘資金管理の「39号室」傘下の「大成銀行」は、北韓のすべての貿易会社に偽造ドルを支給し、2:1に換えて返還するように指示した。
偽造ドル10万ドルを貰うと、代わりに本物の5万ドルを捧げてこそ大成銀行との取引ができるようにした。また、あらゆる名目の金融検閲および管理制度を新設して、必ず実行せねばならなく圧迫した。無力な北韓の貿易会社らは、中国に外貨を送る時、偽ドルを何枚ずつ混ぜて送る方式を取り、権力機関らは海外でブローカーを通じて直接マネーロンダリングをやった。
それて、北韓の(国家的)組織犯罪が国家の管理を逸脱してむやみに行われ、これは北韓が政権次元で敢行した犯罪の証拠物らが(アメリカなどに)確保される具体的契機にもなった。より深刻な問題は、国外へ搬出され難くなった偽造ドルが、国内市場で取引されたことで脆弱な北韓の金融流通システムまで脅かしたことだ。結局、金正日は斧で自らの足を斬った様になってしまった。
北韓政権の偽造貨幣の犯罪を最もよく知っている国は中国の指導部のはずだ。それで、恐らくアメリカの対北金融制裁に積極的に参加し、金正日に迂迴的な警告と圧力を行使したのかも知れない。北韓が「バンコ・デルタ・アジア」銀行に対するアメリカの制裁に強く反発したのは単純にそこに預置された2000万ドルのためではなかった。
制裁措置による北韓内のドルの暴騰や市場不安が、政権を脅かす程のレベルだったからだ。為替レートの防御能力が全くない北韓こそ、「外貨(による)侵略」に最もぜい弱だ。社会主義東欧圏の市場も消滅し、商品の国産化も実現できず、国家の唯一経済指導・管理システムが崩壊し、市場価格に国政価格が押される実情だ。その上、貨幣の流通能力と権限を金正日政権が全く持っていない状況だ。
金正日政権が2009年の年末に貨幣交換(通貨改革)を断行した理由の一つがまさにこのためである。
ウォン貨を国家の資本へ復元させ、貨幣価値の円滑な調整を実現するためだ。それで貨幣交換と同時に外貨闇取引市場に対する掃討作戦も行ったはずだ。だが、すでに崩れた巨大なダムを砂袋で持ち堪えられるのか?
商品の競争力どころか、生産すらできない北韓としては、貨幣価値の主導権を市場に奪われるほかなく、ドルの支配力は日増しに金正日の神格化を恐ろしく圧倒するはずだ。ドルが暴騰するほどそれだけ体制の不満も増幅されるが、このように北韓ではドルの価値と民心は正比例する。
www.chogabje.com 2010.01.09 16:14