【対談】 尹徳敏×李度珩 (下)  韓国の課題と統一へのビジョン

日付: 2010年01月01日 00時00分

◆北核問題の解決と体制崩壊の可能性

―昨年12月に米朝接触があり、6カ国協議再開への期待が生まれた。米国の意図は核問題の解決より対外的なポーズにすぎないとの指摘もあるが。

  北朝鮮はこの間、内部体制の整備に力を注いでいた。後継過程で対外危機を煽るのは北朝鮮政権の常套手段。核実験とミサイル発射、韓国西海上での侵犯事件などの敵対姿勢をとる一方、内部的には軍首脳部の人事異動、150日戦闘と100日間戦闘による総動員、貨幤改革まで行った。60年代後半から70年代前半にかけて金日成から金正日への権力委譲が行われたときと非常に似ている。北は68年1月の青瓦台襲撃事件と米情報収集艦プエブロ号の拿捕、東海岸からの武装ゲリラ侵入などで対外危機を高めた。72年には一転して7・4南北共同声明を発表し、米中デタント(緊張緩和)をきっかけに融和路線をとった。北朝鮮は今年にも融和路線をとるのではないか。

  一つ指摘しておくと、北の首領独裁体制は60年間続いたもの。体制がコンクリートの枠で固められているようなものだ。金正日にとって核開発は強盛大国建設の一手段にすぎないが、核の存在は体制そのもの。捨て去ることはできない。金日成と金正日は89年のチャウシェスク処刑で恐れを抱いた。反対勢力は徹底して排除するという鉄則を立てた。外部から圧力を加えても体制の崩壊は簡単には起きない。しかし、いくら堅固でも割れ目はある。豆満江を渡る脱北者が数千・数万人になれば事態は大きく変わる。こうなる頃には人民軍も発砲できなくなっているはずだから。

―現実的に厳しい統制下にある北朝鮮内部での変化は望めないのでは。

  確かに北朝鮮には知識人も宗教人もいないため、反対勢力は結成されづらい。しかし極限まで追い込まれれば、突発的な事態に発展することもある。

07年3月以降、6カ国協議は開かれていない(写真=連合ニュース)
  94年に金日成が死んだ時、北の崩壊は早ければ3日、遅くとも3カ月内という見方が支配的だった。同盟国のロシアと中国からは見捨てられ、経済難と凶作で餓死者が大量に出た。ではなぜ北朝鮮は崩壊しなかったのか。社会学では体制崩壊の直前、資源枯渇現象が起きるといわれている。北朝鮮は今まで資源枯渇を経験したか。北朝鮮は危機に瀕するたびに外部から支援を引き出してきたではないか。金丸を筆頭に日本が大規模支援をし、94年のジュネーブ合意後には米国が、2000年代に入ると韓国がその役を担ってきた。

―李明博政権の「グランドバーゲン」(6カ国協議を通じて北に核計画を放棄させ、その見返りとして北朝鮮に安全保障を提供して、国際支援を本格化させるという一括妥結案)の実効性は。

  グランドバーゲンは現実性に乏しい。政府発足時に掲げた「非核・開放・3000」(核を放棄して体制を開放すれば、住民1人当たりの所得を年3000ドルになるよう支援すること)がベースだが、北朝鮮は韓米日に対して何もできない状況。グランドバーゲンなどできるわけがない。

  北核解決のために作った6カ国協議は、本来の機能を果たせていない。時間がかかるばかりで、その間に核の実戦配備を阻む道がなくなる。段階ごとに補償を与える形式には限界がある。5カ国の共助もない。そこで5カ国の望みをまとめて共通の案として出されたのがグランドバーゲン。核の脅威に直接さらされている韓国としては、悠長に待っていることはできなかった。北核問題の解決に時間はあまり残っていない。遅くとも北朝鮮が「強勢大国建設」の時限として設定した2012年までに解決しなければならない。

  5カ国共通の案を出すことが可能なのか。中国は朝鮮半島の現状維持、つまり北朝鮮体制の維持という立場を貫いている。国別の目標も違う。共通案を作るのは大変なはずだ。

  今が北の核とミサイル問題を平和的に解決できる最後のチャンスだと考えるべきだ。非核国家である韓国と日本の協力が、北核問題を解決する重要な推進力になる。さらに韓日は北朝鮮の攻撃対象であるという共通点も持っている。

◇北のカードは核のみ 統一に備えて論議を

◆北朝鮮の選択は

―貨幤改革後、北朝鮮内部は動揺している。金正日の意図は?

  近年、北朝鮮経済はヤミ市場によって支えられてきた。原始的な資本主義だが、餓死者は減り中産層が生まれた。政権は彼らを抵抗勢力と見て根絶しようとした。計画経済の修復を試みたものでもあった。そのためには物資と資源が必要だが、北朝鮮内の能力だけでは不可能だ。しかし外部の援助を受けるのは容易ではない。89年の金日成時代に戻すだけでも40億ドルの投資を誘致しなければならない。09年の北朝鮮の外資投資規模はわずか3800万ドル。40億ドルは夢のような目標だ。

―北朝鮮が貨幤改革に失敗すればベトナム方式(デノミとそれに続く開放政策で社会主義市場経済を発展させた例)をとるという観測がある。

 尹 貨幤改革は経済目的ではなく政治目的で行われた。ここが大事。長距離ミサイル実験1回で3億ドル、核実験1回で5億ドルがかかるという。今まで行った実験費用を食糧問題に使っていたら、十分解決できていただろう。

  確かに北朝鮮が生き残るためには経済体制を変えなければならないが、現在の構造は変えられないだろう。国家計画委員会が有名無実化して長いというのに、さらに大変なのは金正日からの後継作業。現在の軍の体制を変えずに行うのは難しいのではないか。

  金正日は先軍政策で軍を強化した。影響力を増した軍がある状況で後継者の地位を強固にすることは難しい。軍への依存度を減らしつつ安定したシステムを作らなければならないが、それは簡単ではない。この状況で金正日が切れるカードは、核武装した状態で米国と国交正常化し、外部環境を改善することだけだ。

◆韓国内親北朝鮮派動向

―統一と韓国政治の安定という面で障害は何か。

  韓国内の親北派だ。1946年4月29日、左翼の結集体である民戦(民主主義民族戦線)が発表した20政党と社会団体の構成
米国産牛肉問題に端を発したデモは大規模な反政府運動に発展し、08年7月5日には5万人以上の人がデモに加わった(写真=連合ニュース)
員は797万人。名ばかりの農民会350万人と日本にいた朝総連120万人を除いた約300万人が左翼共産主義者だった。韓国政府は報道連盟を作って左翼の活動を抑えようとしたが、朝鮮戦争が勃発したためきちんと整理できなかった。

―結局左翼300万人がそっくりそのまま韓国に残った。彼らが今、親北派の根であり、金大中・盧武鉉の支持勢力になった。

  前線に立っているのが民主労総と全教組。数こそ少ないが、影響力は大きい。多くの学生と労働者に影響を与える組織だから。親北派は韓国のアキレス腱。立て直すには民主主義と法治を徹底させなければならない。

―親北派が2012年の戦時作戦統制権の韓国軍委譲と韓米連合司令部解体に併せて活動を活発化させることも憂慮される。まして2012年は北が「強勢大国建設」の目標に設定した年だ。

  2012年は国家安保にとって危険な年になるだろう。すでに在韓米軍は、表向き5旅団となっているが、有事の際に即戦闘に出られる軍人の数は5000人ほど。1旅団相当にすぎない。

―韓国軍のアフガン増派で、米軍の態度も変わるのでは。

  今回300人を派兵するにしても、部隊を安全な地域に送るべきという意見が出た。軍隊が安全な場所に派兵されることがあるのか。韓国軍の戦闘力はベトナム戦争で実証済みだ。韓国軍は戦地に入ってすぐに住民に無料診療と食料を配り、彼らと関係を築いた。韓国軍駐屯地にはベトコンが近寄りづらかった。攻撃されれば猛反撃に出た。韓国軍はアフガニスタンでもその力を発揮するだろう。派兵人員も300人ではなく、1、2師団程度の大規模なものにすべきだ。それでこそ米国に堂々と見返りを要求することができる。

◆統一のビジョン

―統一の時期はいつ頃か? 韓国内では統一に備える姿勢が見受けられないが。

  ベトナム式の統一は困難だろう。ドイツ式の統一しかないが、兆しすら見えてこない。パク・カンヨン元国会議長が言ったように、突然統一されるかもしれない。

  統一に備える議論は、金大中・盧武鉉政権が北朝鮮を刺激するたび和解・協力に重点を置いたことで下火になった。東西ドイツ統一後に西ドイツ市民の負担が増えたことが知られ、韓国人が尻込みしていることも理由に挙げられる。

  さらに深刻なのは、北朝鮮有事の際北朝鮮住民を受け入れる体制が整っていないことだ。

  統一はチャンスという発想の転換が必要だ。統一によって新たなフロンティアができ、経済に活力が生まれる。

―最近ある脱北者団体が北朝鮮住民800人を対象に調査したところ、中国に対する好感度が35%で最高だった。韓国の好感度は中国の半分にしかならなかったという。

  私もその内容を見た。北朝鮮住民が韓国を選択することに否定的という事実を変えなければならない。そのためには韓国が統一を主導する姿勢を見せることが重要だ。国際社会にも韓国の統一に向けた努力と意思を積極的に知らせ、国民には統一へのビジョンを示さないといけない。

  同族間不信には根がある。朝鮮戦争の時、韓国軍は中共軍と対峙すれば比較的安心し、北朝鮮人民軍と対峙すれば恐れおののいた。人民軍も米軍との戦闘では安心し、韓国軍と向かい合うと生きた心地がしなかったという。同族に対する不信を解消する方法を急いで探るべきだ。戦争で殺しあった恐怖をいかに拭い去ることができるかが重要な課題だ。同族間の信頼を高め、統一費用が分断費用より少しかかるという事実を知らせなければならない。それを率先して行うのが政権の役割といえよう。


尹徳敏(ユン・ドクミン)
 1959年、ソウル生まれ。83年に韓国外国語大学政治外交学科卒業後、米・ウィスコンシン大学院で修士、90年には慶応大学院で法学博士の学位を取得。

95年から外交通商部の外交安保研究院で研究や講義などを行っている。著書に『対北核交渉の顛末』(95年、戦略問題研究所刊)など。現在、外交安保研究院安保統一研究部長

李度珩(イ・ドヒョン)
 1933年、ソウル生まれ。建国大学国語国文学科を卒業後、朝鮮日報社に入社。76年、慶応義塾大学大学院を修了し、同紙の日本特派員に。85年から92年まで同紙論説委員を務める。

『日本の韓国報道は信じられない』(81年、エール出版社)など著書多数。04年には韓国の近代化に貢献した人・団体に贈られる「5・16民族賞」(安保部門)を受賞。現在、『韓国論壇』発行人

司会
李民晧・本紙ソウル支社長


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