【対談】 尹徳敏×李度珩 (上) 「親日・愛国」の二元論を超えて

新たな100年へ―韓日両国民の自省と共通価値の再確認を
日付: 2010年01月01日 00時00分

 2010年、韓国現代史上の大事件がメモリアル・イヤーを迎える。「韓国併合」から100年、朝鮮戦争勃発から60年、最初の民主化運動だった4・19革命から50年を迎える。これらの事件が韓国史にどのような影響を与えたのか、過去100年間の歴史を振り返り、統一のビジョンをどう開いていくのか。韓国保守言論人を代表する李度珩・「韓国論壇」発行人と尹徳敏・外交安保研究院安保統一研究部長が対談した。


◇支配・対立から 独立・協力関係へ

 

◆植民地支配35年

―過去100年の幕開けは日本による植民地支配だった。

  韓国社会における「日帝時代」は、親日派か愛国者かという二元論に陥りがち。歴史的事実からいえば、好もうが好むまいが、韓国は日本から政治・経済・社会・文化の分野で影響を受けた。他意ではあるが500年続いた朝鮮王朝体制の終わりでもあった。自らなしえなかった近代化を日本が手伝ったのは認めなければならない。当時作られた学校と病院などのシステムは今も承継されている。

  韓民族が経験した苦痛は甚大だった。植民地になった悲哀のみならず、戦地に狩り出された。しかし、日本は悪で国を奪ったと教えながら、植民地になったことに対する自省はほとんどない。日本は明治維新で西欧に対抗して近代国民国家になったが、韓国は違った。併合を教訓とすべきだ。

  日本が明治維新を成功させたのは、吉田松陰や西郷隆盛といった下級武士が革命の基盤を作ったことが大きな理由だ。中国が阿片戦争で敗れたことも影響を及ぼした。一方韓国は、開化派が勢力を形成できず、外からの刺激もなかった。当時の官僚は親日派、親清派、親露派などに分かれ、派閥争いを行っていた。指導層は蓄財にしか関心がなかった。

 

◆韓国政府樹立と韓日共通分母

尹徳敏(外交安保研究院安保統一研究部長) 
―48年8月15日に樹立した韓国の憲法は日本の憲法を基礎にした。韓日が自由民主主義という価値を共有するきっかけでは?

  日本は米国に敗れ、これを乗り越える過程で自由陣営に属すことになった。今日両国が民主主義を共有するようになったのは米国の存在が大きい。

  民主主義だけみれば韓国の方が日本より進んでいるのではないか。国民自らが民主主義を勝ちとったのだから。日本はまだ過去から脱却できていないようだし。

 尹 同感だ。韓国は歴史こそ浅いが何度も政権交代をした。日本はそれを昨年初めて経験した。

  日本は今後、韓国から学ぶことも多いのでは。すでに韓国を実力のある隣国と認識していると思う。

  日本外務省の調査で韓国に親しみを覚えるという回答が63%に達した。問題はあるが草の根レベルでも相互に関心が高まっている。

 

◆分断と朝鮮戦争

―韓国近代史最大の変事の一つに朝鮮戦争が挙げられる。

  ポツダム宣言(45年7月26日)前に日本が降伏していれば、朝鮮半島の分断はなかったのではないか。日本は「国体護持」という天皇制維持に固執し、降伏できなかった。朝鮮戦争の開戦理由については、歪曲された教科書によって、法(司法研修院生)や国防(陸士学生)までも北朝鮮ではなく米国の責任だと少なからず考えている。政府が経済にばかり集中したせいで教育がおろそかになった。

  日本でも80年代中盤までは韓国が先に侵攻したと考える人の方が多かった。社会主義は善、資本主義は悪という観念があっ
李度珩(『韓国論壇』発行人)
たからではないか。しかし冷戦終了後、考えは変わった。

 

◆韓日国交正常化と朴正熙親日論

―韓日国交正常化を行った朴正熙大統領に対する「親日家」論争については?

  朴大統領の自伝『国家と革命と私』を読むと、彼は2つの理由でクーデターを行った。貧困の解消と指導層の腐敗清算だ。ところがこれを解消するための資金は2000万ドルだけだった。日本に対する請求権放棄とドル借款を軸に祖国再建を始めるしかなかった。クーデターをともに行った金鍾泌元総理は「『第2の李完用』と言われてもいい」と話したという。それだけ切迫していたのだろう。
 韓日修交交渉は李承晩時代から14年もの歳月を費やした。それをまとめた朴大統領の功績は小さくないのでは。

  交渉は朝鮮戦争中に米国の仲裁で始めたものだが、李承晩は代表団に「会談しても妥結するな」と言った。交渉相手が全員先輩ないし師匠だったからだ。例えば京城帝大時代の恩師である交渉相手から、韓国代表が有利な結果を引き出せるのか。結果的に李大統領の次期世代で妥結されたことが韓国発展の礎になった。

  韓国だけ得したという意見もあるが、日本も戦略的な判断が働いたはずだ。韓国が共産主義陣営との最前線という考えもあった。韓国が安定すれば日本も安心する。69年のニクソン―佐藤会談で、佐藤栄作が「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」と述べた。進歩勢力が強い時代だったが、時の日本政府は断固反対した。もう一つの動機は、韓国との修交で経済的に潤うという期待だった。

  岸信介や佐藤栄作は共産主義を恐れた。韓国が貧しいままだと社会主義化して日本に累が及ぶという「釜山赤旗論」があったではないか。日本が韓国の存在をそれほど重要に考えていたということでもある。

◇政権交代で天皇訪韓の機は熟した

 

◆歴史問題の解法

―韓日間には歴史に起因する葛藤と相互の誤解がある。これを乗り越える方法は?

  幸いなことに、日本は民主党政権になった。今年は、韓日両国が歴史問題を乗り越えて前進するための年になるのではと期待している。自民党政権では歴史清算が難しかったが、民主党は違う。もちろん短期間で解決される問題ではないが。両国が互いに被害者意識から抜け出し、共通の価値を認識すればいい。

  天皇訪韓が論じられているが、時は熟していると思う。日本の象徴である天皇を、韓国人が受け入れられない理由はない。歴史教科書問題が初めて起こった82年、韓国の教科書は植民地時代を54ページにわたって書いていた。一方、日本の教科書は数行だけ。しかし、侵略した側とされた側の立場が違うことを、両国民は理解しはじめている。歴史問題を政治レベルで解決するのは難しい。

  私も天皇訪韓に賛成。ただ、日本は天皇がすべての韓国民から歓迎を受けなければならないという考えを捨てるべきだ。卵の何個か投げつけられるくらいの覚悟はしなければならない。

 

◆韓日関係の重要性


―失速する日本と台頭する中国。韓国はその隙間にある。東北アジア諸国の関係はどうなるか。

  韓日は多くの面で近寄らなければならない。風習や文化でいえば、韓国と日本の類似性は韓国と中国より強い。互いの類似点を前向きに発展させるべきだ。

  南北が統一すると日本に不利だと考える日本人がいるようだが、それは誤った考えだ。南北統一は高齢化した日本社会に活力を与える機会になるはず。統一過程で韓国と協力すれば日本にもメリットが生まれる。一番重要なポイントは「信頼」だ。韓国は両国国交正常化以来、日本に常に要求ばかりする印象を与えてきた。日本は1997年のIMF危機の際、韓国を助けなかった。互いが厳しいときに助け合える関係を築くべきだ。良い例としては08年のグローバル金融危機の時に交わされた韓日通貨スワップ協力だ。韓国の市場安定化に大きく寄与した。

(聞き手=ソウル・李民晧)


閉じる