『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』 デイヴィッド・ハルバースタム著

10年におよぶ退役軍人へのインタビューからあぶり出す「戦争」の実態
日付: 2009年11月18日 00時00分

 鈴木 琢磨(すずき たくま) 毎日新聞編集委員


 えっちらおっちらぶ厚い2巻を読み終え、著者あとがきに思わずうなずく。〈五十二年間のジャーナリスト生活でわたしがとりわけ大事にしてきたこと〉は〈平凡な一般人の崇高さに敬意を払うこと〉とあったからである。かのピュリツァー賞を受けた高名なジャーナリストにしてこの言、ひよこ記者、大いに学ばせてもらった。

 52年! そもそもそれだけの歳月を刻んだベテランジャーナリストがこの日本ではまれである。新聞社は皆無だろうし、フリーの世界ですらあやしい。いろいろ理由はあるが、言い訳に過ぎない。アメリカは問題の多い悩ましい大国であるけれど、ほんもののジャーナリズムが大地に根づいていることはたしかである。その一点をして、やはりすごい国といえる。

 さて、朝鮮戦争である。すでに書き尽くされた感のあるテーマでありながら、ハルバースタムはあえてこの難問に挑んだ。ベトナム戦争の悲劇をえぐりだして成功した「ベスト&ブライテスト」の手法を踏襲しつつ、その取材エネルギーは衰えるどころか、うわまわってすらいる。驚異である。10年におよぶおびただしい退役軍人へのインタビューから、栄光の「マッカーサー伝説」のきらきらした金メッキをはぎ、皮をはぎ、そのまた薄皮まではぎとっている。

 あくまでほんの一例だが、東京司令部で中堅だったビル・マカフリーという人物の次のような辛らつなつぶやきを紹介している。
 〈マッカーサーが仁川のあとに退役していたとしたら、アメリカ中の町にかれの名を冠した学校ができていただろう。だがかれは、とどまればとどまるほど、発言すればするほど、自らを傷つけることになった〉

 なんとツボをこころえた証言を拾っているのだろう。プロのわざがさえている。膨大なインタビュー記録からこうした言葉を抽出するエネルギーにもまた感服する。

 泥沼化。そう、戦争をやるたびにアメリカはいつもいつもこれに陥る。まるで病気だ。ベトナムはむろん、アフガニスタン、イラクもそうだった。そしてそれは朝鮮戦争でも同じだったのである。保身や私利私欲が情勢分析、判断を誤らせたと、手厳しい。マッカーサーはこれだけの戦争を指揮しながら、朝鮮半島で一泊もしていなかった。驚くべきことである。「事件は会議室で起きてるんじゃない!」。「踊る大捜査線」の青島刑事の嘆きが聞こえてきそうだ。

 ハルバースタムには北朝鮮観がある。〈北朝鮮では批判もなければ、間違った措置もない。あらゆる措置は金日成が決めたものであるがゆえにつねに正しかった。こうして、北朝鮮は高度の個人崇拝がまかりとおる、風通しの悪い、アジア的全体主義の新種となり、毛沢東の中国よりもさらに全体主義的な、酸素なき国となった〉。そして断言する。〈北朝鮮はますます孤立し、中国やソ連のようなかつての同盟国さえも手が届かなくなった。それでも、少なくとも存続可能な不良国家になるべく核兵器をもとうと画策していた〉と。

 ゲラに最後の筆を入れた翌週の2007年4月23日にハルバースタムは交通事故で亡くなった。朝鮮戦争は現在進行形である。その死が惜しまれてならない。

 


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