湯島から西荻窪に引越してくる直前に、洋子には引越先の住所を教えておいた。ただ、湯島の下宿には電話があったが、こちらの簡易アパートには電話がない。
もちろん母屋には電話があり、その使用を禁じられているわけではないが、何せ母屋とアパートとのあいだは、電話を取り次ぐにはちょっと遠かった。アパートの住人は皆、よほど緊急の用事でもないかぎり、外から自分宛の電話が母屋にかかってくるのを遠慮していた。こちらから外に電話をかけるときは、アパートのすぐ近くのパンなどを売っている駄菓子屋の店先にある公衆電話を利用していた。
湯島に下宿していたときは、ときどき洋子の方からも電話がかかってきたものだが、このアパートには電話をかけることもできない。それで洋子は、手紙を書いて寄こしたのであろう。
引越してきてから、そのうちに、そのうちに、と思いながら、洋子の職場である池袋のN化粧品サービスルームに電話をかけないまま、つい三週間以上も経ってしまった。それだけに、祥一は、洋子の手紙を手にしたとき、内心疚(やま)しさをおぼえると同時に、微かに波立つものを感じた。いっこうに連絡をくれない自分を、寂しく思っているか、あるいはなじっている文面が出てきそうな気がした。
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だが封筒から出てきた便箋には、そのような調子の文章は微塵(みじん)もなかった。
「引越してから、少しは落ち着いたかしら?わたしの方もここのところ忙しかったものだから、何も手伝えなくてごめんなさい」
などと、洋子は、自分の方で詫びていた。地方の美容院への出張が重なって、つい一週間前にも、新潟、富山、金沢等、北陸のいくつかの都市にある美容院を回って、つい昨日帰ってきたところだという。
N化粧品会社の製品は、市販はされておらず、全国各地の代理店を経て、美容院に納めている。契約している美容院に赴いて、化粧方法について教育するのが洋子の出張の目的だが、ときには地域の奥さんたちを集めて教えることもあるという。またときには、営業部員の者に随行して、販路拡大のための宣伝の手伝いもするという。こんどの北陸行きも、二人の営業部員と一緒で、宣伝のための化粧教育が主な仕事だった、と洋子は手紙に書いていた。
「留守中、お電話を下さらなかった?もし下さっていたのなら、ごめんなさい。とにかく、そういうわけで、わたしは昨日帰ってきました。これからしばらくはゆっくりできそうですので、あなたのお部屋を拝見しに、こんどの土曜日に伺っていいかしら。カーテンだって、前とは寸法も違っているでしょう?それに、もう色も裾(あ)せているし、新しいのに取り替えたいと思うの。お窓の寸法も測りがてら、お忙しくなかったら、土曜日の午後にお伺いしたいと思っているのですけれど……。
お返事をお待ちしています」
湯島に下宿していたときも、カーテンは洋子があつらえてくれたのだった。そのカーテンを、引越してからも相変わらず窓にとりつけているのだが、湯島のときより窓が少し大きいために、丈も、幅も、少し足りない。
カーテンなんかどうだっていい、と思っている祥一だけれども、洋子の方ではそういうところにまで気を配ってくれている。洋子の心遣いの濃(こま)やかさがあらためて感じられた。彼には、そういう洋子の心遣いが、鬱陶しいというより、むしろ済まないというふうに感じられる。洋子に対して優柔不断な自分があらためて顧みられた。
1984年8月18日6面掲載