そのうちに、ラジオの番組が変わり、ラジオ小説の時間になった。女性アナウンサーが、澄んだ声で小説を朗読しはじめた。
小説は、志賀直哉の『暗夜行路』で、伯耆(ほうき)の大山(だいせん)の寺に泊り込んでいる主人公が、山に登るくだりだった。見知らぬ会社員の連れたちと一緒に、夜半に寺を発ち、「六根清浄、お山は青天」などと掛け声をかげながら登って行くのだが、身体の調子が本当でなかった主人公は、途中で落伍する。
夜が明けたら、ここから一人で引き返すから、と主人公は連れの者たちと別れ、道端の、萱(かや)の生えている中で、山を背にして腰を下ろす。腰を下ろして休んでいるうちに、しばらくうとうとする。
ふと目醒めてみると、すでにあたりは青味がかった夜明けになっている。主人公は、目の前にひろがっている下界を眺める。
「明け方の風物の変化は非常に早かった」
女性アナウンサーの朗読の声が続いていた。空に目をやり、きくともなく耳を傾けていた祥一は、次第に小説の世界に引き込まれて行った。
「しばらくして、彼が振り返って見た時には山頂の彼方から湧き上がるように橙色(だいだいいろ)の曙光が昇ってきた。それがみるみる濃くなり、やがてまた褪(あ)せはじめると、あたりは急に明るくなってきた」
アナウンサーの澄んだ声のせいもあったろうか、山の早朝の澄んだ気配が心にしみ込んでくるようだった。文字通り、昇天の慈雨の如く、心にしみ込んでくるようだった。
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祥一は、何か心を打たれるものを感じた。十分そこそこの短いその番組が終ったとき、彼は、一種の感動をおぼえていた。小説の文章、それも朗読の文章で、そんな気持になったのははじめてだった。
自分はいままで小説に見向きもしなかったけれど、小説とはこんなに魅力のある世界なのか、と彼は思った。ごく短い時間、朗読を耳にしただけなのに、心が極度に乾いていたせいか、その印象は強烈だった。
彼はふっと立ち上がり、部屋を出た。階下に降りて行き、さっき脱いだばかりの靴をまた履いて、下宿を出、お茶の水駅に近い本屋に行った。しばらく捜しているうちに、上下二冊になっている文庫本の『暗夜行路』が目についた。彼はそれを買い、すぐ下宿に戻った。
「おや、もうお帰りですか」
階段の昇り口で顔を合せた家主の奥さんが、悠長な口調で声をかけた。祥一は昼食に出かけたのだと思ったらしい。そして、いつもだったら、彼はいったん食事に出ると、散歩をしたり、日比谷あたりまで足を伸ばして映画を観たり、帰りが夜になることがしょっちゅうだったのだ。いつもに似ず帰りの早い彼を奥さんは怪訝(けげん)に思ったようだ。
「ちょっとそこまで買物に行ってきたんです」
さっきまで騒いでいた小学生の子供は、外に遊びに出たらしく、家の中は静かだった。居間では例によって亭主が裁縫台に向かっていた。
二階の自分の部屋に戻ると、彼は机に向かい、早速『暗夜行路』を読みはじめた。食事に出るのも面倒臭く、夕飯代わりに二、三日前に買っておいたパンをかじりつつ、『暗夜行路』を読み続けた。
読み終えたのは夜半すぎ、というより、明け方に近かった。読み終えたとき、彼の頭は熱を帯びていた。ひどく疲れているのに、頭は興奮し、結局彼は、その夜、一睡もできなかった。
1984年8月14日4面掲載