趙甲済
李承晩初代大統領はその功績から見て、民族史の10大人物、20世紀世界指導者の10大人物に入らねばならない英雄だ。20世紀の歴史において最も偉大な成功として数えられる大韓民国の成功ストーリー、その主人公が李承晩と朴正煕だ。繁栄し、自由で強力な大韓民国がまさにお二人の成績表だ。
にも拘らず、李承晩は国内外で過小評価されている。親北勢力、偽善的知識人だけでなく、彼の路線を継承した後代の政権によっても彼は無視された。彼の自主路線に戦慄したアメリカや日本からも敬遠されている。
彼が残したものは主に目にはよく見えないものばかりだ。朴正煕が残したものは目に見えるものが多くて別途の説明が必要でないのと対照的だ。
自由民主主義-市場経済体制、韓米同盟、農地改革、教育改革、国軍の建設は李承晩の5大業績だが、あまりにも大きく、目には見えないため、宣伝するのも説明するのも難しい。
それで、李承晩は見識が高い人、思慮の深い人、歴史が分かる少数の義人たちによって高く評価されているだけだ。こういう李承晩を賛えることは大韓民国を賛えることであり、奇跡の現代史を作った先輩世代の労苦を共に賛えることであり、未来の大韓民国を担っていくべき世代に愛国心と自由統一意志を植えることだ。要するに、大韓民国の精神を継承して行くためには、建国大統領を正当に評価し、その方を具体的に称えねばならないのだ。
建国大統領を賛えることの先頭に立たねばならない人は李明博大統領だ。経営者出身が選挙を通じて大統領になれたのは、李承晩が大韓民国を自由の基礎の上に建てたおかげだ。大統領は大韓民国の正統性を継承し、正体性(アイデンティティー)を守る人だ。そういう仕事はたとえ人気の無いことでも大統領はやらねばならない。憲法がそうせよと命令している。
李明博大統領が任期中にやらねばならない仕事がある。李承晩大統領の銅像と記念館を建て、貨幣の図案に建国大統領の顔を入れることだ。
1.「光化門広場」に建国大統領の銅像を建てねばならない。光化門広場は大韓民国の心臓部に位置し、国家的象徴物だ。李瞬臣、世宗大王の銅像と共に建国大統領の銅像が建ってこそ、広場の象徴性が完成する。今のように朝鮮王朝の人物ばかりを賛えたら、生動する大韓民国は失踪する。雄大に前進する大韓民国はあるのに、その大韓民国を象徴する記念物はソウルに無い。建国大統領はその国の真ん中に立たねばならない。それでこそ、人々が通いながら建国の正当性が確認できるのだ。李承晩の銅像を南山や龍山に建ててはならない。大韓民国の心臓部に建てねばならない。銅像が建つべき場所は光化門広場だけだ。空間は充分だ。
2.金大中元大統領の葬儀を国葬で行った国、建国に反対した偉大な独立闘士の金九記念館を巨大に建てた国、朴正煕記念館も建てることにした国が、建国大統領の記念館と銅像を建てないと、そういう国は正気でない存在になる。父の法事を行いながら、祖父の法事は省略するのと同然だ。キリスト教徒が使徒パウロだけを崇拝し、イエスを無視すれば天国に行けるだろうか?
3.李明博大統領は金大中国葬直後の演説で、歴代大統領の功と過を公正に評価し、自分は功を中心にして賛えて行きたいと話した。それなら、李承晩建国大統領から正当に称えねばならない。約束を実践しなければならない。
4.貨幣の図案、銅像、記念館など国家の象徴物から、民族史の最高成功作である大韓民国の主人公たちを押し出し、朝鮮王朝の人物ばかりを賛えるのは、復古的雰囲気を拡散し兼ねない。今、われわれが使う貨幣に登場する人物は、全て朝鮮朝の人だ。李舜臣、世宗大王、李栗谷、李退渓、申師任堂で、申師任堂と李栗谷は母子だ。こういう朝鮮朝への偏重は大韓民国に対する冷遇の別の表現だ。日本は貨幣に明治維新以後の人物を入れる。共和国体制の貨幣には、ほとんどがその共和国を創った人物たちを入れる。大韓民国の貨幣に、大韓民国の人物を入れないのは、自ら「大韓民国は恥ずかしい国」と告白するものだ。申師任堂と李栗谷の何方の代わりに李承晩を入れなければならない。
5.まず、容易で効果的なことから始めよう。建国大統領の銅像を光化門広場に建てよう! 国民運動を始めて大統領とソウル市長を説得しよう! 大韓民国の心臓部に建国大統領の銅像が建つ日、大韓民国はこれ以上正統性の是非が無くなり平穏になるはずだ。親たちが子供の手を握って、李承晩の銅像を回りながら、「この方のお陰で君たちがこのように幸せに暮らしているんだ」と説明する日から、自由統一の目標が明瞭になるはずだ。「光化門広場に建国大統領の銅像を建てよう!」という運動を提案する! 李明博大統領の決断を期待する。