対北対決政策へと転換せよ!

わが政府がなぜここまで無気力なのか?
日付: 2009年09月17日 18時40分

金成萬(予備役海軍中将、元海軍作戦司令官)

李明博大統領は2009911日、外交安保諮問団との朝食懇談会で、「最近北韓が、一方では宥和的措置を取りながら、もう一方ではウラニウム濃縮の核プログラムの進展を主張するなど、両面的な態度を示している。これは北韓を巡る情勢が非常に流動的であることを示すもの」と言いながら、「しかし、こういう状況が北核問題に新しい転機を掴める機会になる肯定的な側面もある」と話した。大統領が「新しい転機を掴む」という表現を用いたのは、近い内に南・北当局間の対話が開かれる可能性があるだけに、「北核問題」の解決のため創意的に努力する必要があるという意思を強調した意味がある、と青瓦台筋は伝えた。

大統領は自らの「8.15慶祝辞」を挙げて、「北韓が核の放棄を決心さえすれば、北韓経済を画期的に向上させられるように国際協力を推進するというわが政府の立場を、北側弔問団(金基南秘書、2009.8.23)にも説明し、『真正性のある対話が前提となれば、南・北関係が新しい進展が期待できる』という点を強調した」と話した。大統領は、「わが政府は、状況に一喜一憂せず、一貫性のある堂々とした『対北』基調を維持し続ける」と言った。

北側の96日の水攻めで死亡したわが国民(6)に対する葬儀も行っていない状態で出た発言であるため、その意味が格別だ。李明博政府が出帆して1年半が経った。北側の誠意のない対話や欺瞞戦術に浪費する時間がない。今は、わが政府が対北政策を冷静に見直さねばならない時期だ。まず、去る1年半間、北側がわれわれに対して行った挑発や脅迫に対して綿密な分析が先に行われねばならない。そして、これを土台にして対北政策を修正しなければならない。
 
北側はわれわれのどんな挑発や脅迫を加えてきたか?
李明博政府発足後の主要なことだけを列挙する。①北側は李明博政府が20082月に出帆するや、今までわが大統領をあらゆる悪態で卑下している。②「第2の韓国戦・第3次延坪海戦」勃発云々して脅迫し、甚だしくは「灰の山」という表現で核武器の使用にまで触れている。③2008711日、金剛山で韓国人の女性観光客を後から銃撃で殺害した。④2008121日、開城工団の出入りを遮断/制限し、開城観光を中断させた。⑤「北韓軍総参謀部」の代弁人が2009117日、軍服姿で、わが大統領を悪態口(売国逆賊、000逆徒)で卑下しながら、対南全面対決を宣言し、西海のNLL(北方境界線)を否定する声明を発表した。⑥2009130日、「祖平統」の声明を通じて、南・北間の政治・軍事合意事項(不可侵宣言を含む)を全て無効化すると宣言した。⑦45日、長距離弾道ミサイル(人工衛星に偽装)を発射した。⑧414日、国連安保理の議長(対北)声明(4.13)に反発して、「6者会談へ不参、核抑制力の強化、(不能化した)核施設の原状復旧、廃燃料棒の再処理、『宇宙利用権』の行使、軽水炉発電所建設など」を強行すると言い、核とミサイル開発活動を続ける意向を明らかにした。⑨525日、2次原爆実験を強行した。⑩北の外務省は、国連安保理の対北追加制裁決議1874が採択(6.12)されたことと関連し、613日、声明を出して新しく抽出するプルトニウム全量を武器化し、ウラニウム濃縮作業に着手すると表明した。⑪5月~7月、弾道ミサイルを大量発射(17)して武力示威をした。⑫611日、開城工業団地の勤労者の賃金(4)と土地使用料(31)の引上げを強要した。⑬77日、韓・米の主要機関のインターネットに対する「ティドス(DDoS、分散サービス拒否)」サイバーテロを敢行した。⑭金正日は、わが政府を排除して、民間人(玄貞恩現代峨山会長)を北へ呼んで、金剛山観光の再開、軍事境界線の陸路通行と北側地域滞留の原状回復、開城工団事業の活性化、「秋夕」離散家族対面などに合意し、「現代グループ-北のア太平和委員会の共同声明文(8.16)」を発表した。⑮93日、国連安保理議長に伝達した書簡で「ウラニウム濃縮試験が成功的に進行され、仕上げの段階に入っており、抽出したプルトニウムが武器化されている」と主張した。200996日、「黄江ダム」の無断放流でわが軍の戦車大隊と野営客を水攻めした。
 
わが政府の対応はどうだったのか?
過去と比較すると北側の挑発が頻繁で威嚇的だ。それにも拘れず、20087月、金剛山観光を暫定中断し、2009526日に大量殺傷武器拡散防止構想(PSI)に遅れて全面参加したのが唯一の実績だ。国連の安保理決議1874号にもかかわらず、開城工団をそのまま維持しながら、北側に毎月約400万ドルの現金(北韓勤労者の賃金など)を支払っている。このお金が核武器や弾道ミサイル開発に転用されないという保障はどこにもない。
 
わが政府がなぜここまで無気力なのか?
まず、前政府の過ちでこの政府が正しい対北政策が推進できないためだ。
北側が南北合意事項を違反しても、わが政府はこれを廃棄しなかった。むしろ、北側が挑発する度、なだめるために無条件の「おおばん振舞い式」の対北支援を続けた。核実験をやり、弾道ミサイルを発射しても支援を続けた。甚だしくは、北側の弾道ミサイル発射武力示威を「人工衛星の発射」と、核武器保有は「防御のための自衛手段」と、NLLの無力化には「NLLは領土線でない」とまで言いながら、わが政府の責任者らが北側を庇護した。
 
二つ目、李明博政府の一貫性のない対北政策の推進のためだ。
李明博大統領は、南北共生基調の「非核・開放・3000」を闡明した。国内外から良い評価を受けた。ところが、北側はこれを拒否した。しかも、核実験に続きウラニウム濃縮の成功まで言及した。隠密な地下施設でのウラニウム爆弾の開発によって、北側の核武器除去は完全に水泡に帰した。北韓(金正日)20091月、対南全面対決まで宣言した。それなら、核武装資金(お金)に転用できる対北事業と南・北交易は至急に整理せねばならない。
 
三つ目、前・現職の高位当局者が北側の過ちに対して公開的に非難しないためだ。
政治家を含めて、機関の代表たちが大部分口を閉じている。特に、過去政府で南北合意書に署名した人々、そして金正日に会ってきて彼を「度量の大きな指導者、話が通じる指導者」などと高く評価した人々が沈黙を守っている。甚だしくは、北側の水攻めは南・北間の対話通路がないためだと、責任はわが政府にあると主張する者すらいる。こういうのが結局、韓国が北側の挑発を暗黙的に認めるという名分を与えている。
 
四つ目、無効化された「南・北合意書」をわが方だけが守っているからだ。
北韓側が、38個の「南・北間の合意書」((韓半島非核化共同宣言、6.15共同宣言、10.4宣言、南北不可侵宣言など)をすでに無効化した。なのに、わが方はこれらを廃棄せず、一方的に金科玉条の如く愚かにも遵守している。個人間の契約も、一方が履行しないと違約者が不利益を受けて契約が取消しになる。それから、北側が政治・軍事合意事項を無効化した状態では、経済協力は事実上不可能なのに、これをそのまま維持している。
 
五つ目、北側(金正日)の一方的な措置に順応しているからだ。
「北韓軍」代弁人のわが大統領(国軍統帥権者)への卑下発言に対して、わが軍はまともな反駁声明すら一つ出せなかった。北側の開城工団措置への原状復旧や遮断した通信網の回復に対して、むしろこれを喜んで受容れた。北側の挑発に対して相応する報復が殆ど無い。金正日の「病気を与えてから薬を与える措置」に、われわれが順応しているわけだ。玄貞恩-金正日間の約束である「離散家族対面」を、わが政府が後続措置を推進している。
 
六つ目、北側の強・弱両面戦術に騙されているためだ。
わが政府は、対外的に堂々たる対北基調を維持すると闡明している。だが、内面を詳しく見れば、北側の脅迫戦術に徐々に屈服しながら、過去政府の前轍を踏んでいる。平壌側の金基南秘書が、青瓦台でわが大統領に「南と北が協力してすべての問題を解決していくことを願う」という金正日の意思を伝えた。しかし、9月初め、北はウラニウム濃縮発表と水攻めを敢行した。にも拘らず、わが政府は南北和解のモメンタムに期待をかけ続けている。
 
それではどうすべきか?
まず、わが政府は過去の南北関係から教訓を得なければならない。
北韓側は1960年代の中盤、対南軍事優位を達成するや、1967年から1976年まで武力挑発(青瓦台奇襲、大規模の武装共匪浸透、板門店での斧蛮行事件など)と威嚇を加えてきた。われわれは、当初は北側を宥める宥和政策を推進した。1972年、「7.4南北共同声明」(自主・平和・民族大団結という統一3大原則)が発表されるや、わが国民は直ぐにも統一されると信じて喜んだ。「南・北の合意」には、「南・北双方は、相互誹謗・重傷の中止および不意の軍事的衝突事故の防止のための積極的措置、南北間の多方面的な交流実施、南北赤十字会談実現への積極協力、ソウル-平壌間の常設直通電話の設置、南北調節委員会の構成および運営、諸般合意事項の誠実な履行約束」なども含まれていた。しかし、これも直ぐ紙切れになった。
 
わが政府はこの教訓を土台に、1977年から対北対決政策に転換した。戦争抑制力の構築のため「韓・米連合軍司令部」を197811月に創設した。国防費も大幅増額した。時間がそれほど経たない内に、われわれは対北軍事力優位を達成し、しばらく平和を謳歌した。爆発的な経済成長を達成し、民主主義も着実に発展した。
 
そうする内に、1990年のドイツ統一と以後の東欧圏の変化、ソ連邦の解体で東西冷戦が終息するや、われわれは自慢に陥り始めた。北方外交(ロ・中・東欧圏)を推進しながら、対北対決政策が次第に宥和政策に変質した。この期間に北側は大量殺傷武器(核武器、弾道ミサイル)の開発に拍車を加えた。北側は1993年から核物質を保有するようになり、南・北の軍事力均衡が徐々に崩れ始めた。
 
このような状態で、韓国は南・北頂上会談(1994年金日成の突然死で取消し)などを推進しながら、対北対決政策に復帰しなかった。逆に、1998年から「和解・協力政策」(太陽政策など)と対北支援(現金、物資など)を積極的に推進した。この結果、北側は核武器と弾道ミサイル能力を画期的に増強した。軍事的に核保有国として絶対的な対南軍事優位に立つようになった。南・北の軍事力均衡が完全に崩壊した。自信を持った北側は、潜水艦艇の浸透(19961998)や、延坪海戦を挑発(19992002)した。われわれは膺懲できなかった。逆に、わが国防部は、2004年に北韓側に対する主敵概念を削除した。以後、韓国は「金正日オオカミ集団」に随時食われる羊に転落した。
 
二つ目、南北の特殊な対決構図を理解せねばならない。
(金日成)側が挑発した同族相残の韓国戦争(19501953)のため300万人が死んだ。未だ休戦状態だ。北側は「韓半島の赤化統一」を「憲法」や「労働党規約」に明記している。1962年に採択した「4大軍事路線」(全人民の武装化、全国土の要塞化、軍装備の現代化、全軍の幹部化)を、金正日が1998年に「憲法」に盛込んだ。北側(金正日)は今「武力赤化統一」まで大言壮語している。
 
したがって、南・北はゼロサム(Zero-Sum)・ゲームの対決構図である。どちらか一方が降伏してこそ対決構図が終わる。それで、分断国家の統一事例が良い教訓になる。北ベトナム-自由ベトナム(武力統一)、北イエメン-南イエメン(連邦制の合意後、武力統一)、西ドイツ-東ドイツ(吸収統一)がまさにそれだ。南北の「平和共存と連邦制統一」云々は一種の詐欺術に過ぎない。
 
北側(金正日)は、すでに軍事優位を土台に2012年を「強盛大国への進入の年、連邦制統一の年」と決めた。北側主導の「連邦制統一」ができないと、武力で「赤化統一」するという態勢だ。このため金正日は健康の悪化にもかかわらず、精神力で踏ん張りながら、今年は例年より4倍以上の「現地指導」に出ている。去る8月、ソウルを訪問した(「朝鮮労働党」の)金基南一行が、わがほうの要人に明白に表明した内容だ。最近、金正日は「占領する目標は高いのに、時間がない」と言いながら、住民を督励しているという噂もある。
 
南・北の対決構図で最も大きな問題は、北側の核武器だ。だが、北側の核問題は1992年から今まで国際社会の努力にもかかわらず、解決されなかった。しかも、二度の南・北頂上会談(2000年、2007)でも解決できなかった。その間、南・北間当局者会談も数百回も開かれたが、役に立たなかった。今は「6者協議」(南韓・北韓・美・日・中・ロ)も開かれない。逆に、時間が経てば経つほど、弾道ミサイル能力と結ばれて危険のレベルが高まるのみだ。もはや、われわれは北側の核武器の自らの放棄に対する妄想を捨てねばならない。
 
だから、わが政府は至急に対北対決政策へ転換しなければならない
まず、北側が無効化した南・北間の「合意書」を全て廃棄しなければならない。「南北合意書」の署名関連者たちを特使として北へ派遣して、「合意書」の違反に対して損害賠償を北側に要求せねばならない。対北事業を全部整理しなければならない。対北長期借款(米など)で支援したものを全部回収せねばならない。北側の核武器の現実的脅威に対する対応策を至急に推進せねばならない。「金正日政権除去」政策を推進せねばならない。北韓の「急変事態」に対する準備を公開的に推進しなければならない。
 
そして、われわれの国防力を大幅増強して、南・北の軍事力の均衡を回復せねばならない。韓国の戦争抑制力である「韓・米連合軍司令部」の解体(2012.4.17予定)を直ちに中断せねばならない。もし、このような貴重な教訓を忘れると韓国は遠からず国家生存の危機に直面するだろう。しかし、対北対決政策を選んだ場合、近い将来に韓国主導の韓半島統一の機会がやってくるはずだ。わが政府の賢明な判断を期待したい。(www.konas.net )
 

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