趙甲済
<国旗法10条④項:国旗を霊柩に覆う時は、国旗が地につかないようにし、霊柩と一緒に埋葬してはならない。>
2年前作られた法規定だ。去る日曜日、金大中元大統領の国葬の時、この規定が守られなかった。国立顕忠院側が遺族の要請を受入れ太極旗を棺の上に載せてその上に土を覆って一緒に埋めた。この場面がテレビで中継され、違法と指摘されて、夜、埋蔵された太極旗を墓から掘出した。
一見、あり得る手落ちのように見える。だが、小さなミスも許されない国葬であり、国家の象徴物と関連した過ちだった。
知りたいのは、国立顕忠院側がこの法規の存在を知らなかったのかである。そうではないはずだ。ひとまず、棺を包んだ太極旗を畳んで遺族側に渡したからだ。葬式を何度もやってみた国立顕忠院側はその方面の専門家なのに、国旗を絶対に埋めてはならない事実を知らなかったはずがない。
それでは、法違反であることが分かりながら、太極旗を埋めたということになる。なぜ、そうしただろうか? 遺族が一緒に埋めてほしいと頼むと人情から拒絶できなかった可能性もあり、法に触れるという事実は分かるが、国葬の雰囲気が大統領から進んで遺族尊重を強調するから、遵法精神がそういう雰囲気にちょっと押さえられた所為でもあり得る。
李明博大統領が、敢えて金大中元大統領に対してのみ、国葬を許したのは、例外を認めてはならない法精神を事実上破った行為だった。しかも、40年以上定着した慣例を破った行為だった。慣例や判例は、法の一部だ。大統領が簡単に法精神を違反するから、末端の公務員たちも法よりは雰囲気を選んだのではないだろうか?
公務員たちは、官僚制度の生理上、大統領が強く出れば大統領よりもっと強く出て、大統領が弱く見えると、大統領よりさらに弱くなる。昨年の「ロウソク乱動」、今年の「盧武鉉自殺」、そして「金大中他界事態」の時見せた李明博大統領の姿勢は怖気づいた姿だった。おじけづく理由のない人が李大統領だ。彼の手には、憲法があり、選挙で選ばれたという民主的正当性がある。国軍の統帥権者として70万国軍を指揮し、13万警察力を動かせる。国会は、自分を支持するハンナラ党が圧倒的過半数を占めている。100万公務員もいる。 250兆ウォン以上の国家予算もある。「韓・米同盟」もある。
愛国闘士たちは素手で左翼らと戦うのに、このように重武装した大統領が何が怖いというのか? 法の通りやるのを、なぜ(誰かの)顔色を窺うのか?
指導者は、如何なる場合も怖気づいた顔を部下や支持者たちに見せてはいけない。危機がくれば追従者らは習慣的に指導者の態度を見る。指導者の態度に合わせて自らの行動を決める。指導者が動揺する様子を見せると、追従者らは各々生きる道を探す。指導者が泰然自若とすれば、安心して彼の指導に従う。
太極旗を埋めた国立顕忠院職員は、怖気づいた大統領の様子を基準として、自分の行動方向を定めたのではないだろうか?