柳根一
葬儀は終わった。だが、「葬儀以後」はこれから始まる。「葬儀」を整理することがその初めのボタンになるだろう。
「葬儀」は、まず多数国民を興奮させられなかった。盧武鉉自殺の時のような「ショック」もなかった。放送や新聞だけが大騒ぎをした。しかしその大騒ぎに乗った国民はなかった。
「葬式」は、「金大中路線」の終幕を告げた。「李承晩、朴正煕独裁を倒したように国民は今後も民主主義を守るだろう」といった彼の「民衆蜂起論」は外れた。李明博時代を「民主主義の危機」と見た彼の時局観もこだまが無かった。
オバマ行政府が金正日の核恐喝に宥和策で反応するはずだと思った彼の判断も中らなかった。李明博政府が、米-北の接近で孤立すると予想した彼の希望も間違った予測だった。
「葬式」は、また李明博大統領を「常連客のない店の主人」のようにするかも知れない。李明博大統領が国葬を決めたのは、彼がおじけづいたためだ。国葬を拒否した場合、金大中陣営の怨恨に耐えられないと思ったのだ。李明博大統領としては他に方法がなかったと言うだろう。
金大中陣営は、当面は李明博大統領のその決定をもちろん「良かった」とするだろう。だが、だからと言って、彼らが李明博大統領に対する基本的な認識と路線を修正するだろうか? それは違うはずだ。金大中陣営と左派は、今後も李明博政府を「わが友」と見ることは決してないはずだ。彼らはむしろ「李明博はもう飼い慣らしておいた」ともっと甘く見るかも知れない。
反面、李明博大統領は保守右派の信頼を失った。保守右派は、李明博大統領を抜いて「李明博以後」を考え始めるはずだ。結局、李明博大統領には真の支持層が無いという話になる。単に、李明博政府が失敗すると、国が危うくなると思い、その分だけを我慢する程度ではないか。
「葬式」は、金正日に戦術交替(強硬から穏健に)の契機を提供した。彼の強硬策が行き詰まっていたところへ、そこから適当に体面を保って脱出する名分を与えたのだ。
李明博大統領は、金正日が差し出した手をむずと取った。「私設ルート」を通じて出された手だったのに。これから李明博大統領がこの決定をどう収拾するのか気になる。手を取らないと対話を拒否すると言われ、一応手を取った以上は金正日の核恐喝にも拘わらない事実上の「太陽政策」の二番煎じになるのがほぼ確実で...これは李明博大統領にはジレンマであって、必ず機会になるという保障は無い。差当たり、「6.15宣言」と「10.4宣言」をどうするつもりか?
さあ、それでは、これからどうなるのか? 歴史には必然性などはない。総てが人のやり方次第だ。李明博政府が最小限の法治と公権力の行使を正常にできるほどは力を添えねばならないだろう。これにふらつくほど李明博政府を苦境に陥れるのは、大韓民国を危機に追込む愚になる。
しかし、その代わり、大韓民国陣営は新しい主人公を見いだし作って、「李明博以後」に向かったまた新しい大長征を始めなければならない局面だ。李明博時代は、どうせ「真の政権交替」に行着くまでの「折半の成功」だったではないか?