吉田耕三牧師 「日韓の真の親善 待ちわびて」

在韓30年を語る
日付: 2009年08月15日 00時00分

 韓国のことを話すたびに「大韓民国」という日本人に初めて会った。当の韓国人ですら大半は「韓国」と略すのに。「大韓民国が正式国名じゃないでしょうか」と、吉田耕三さん(67)は答えた。吉田さんはソウル日本人教会の牧師として、30年間韓国で生きてきた。「死ぬまで韓国に住むつもり」という日本人から、韓国での生活について聞いてみた。(ソウル=李民晧)

よしだ こうぞう=1941年東京生まれ。65年に日本クリスチャンカレッジ(現・東京基督教大学)卒業。81年、日韓親善宣教協力会の宣教師として家族とともに渡韓。ソウル日本人教会牧師。2001年、韓国基督教宣教大賞受賞。

1974年 初めてふれた韓国

  1974年8月、吉田さんはソウルで開かれた学生宣教師の行事で初めて韓国を訪れた。韓国人の熱情的な姿を目撃してショックを受けた。顔つきも似ていて一番近い隣国の住人なのに、韓国について何も知らないことに気付いた。
 これをきっかけに、韓国の勉強をするようになった。そんな吉田さんのもとに、ある日、韓国人牧師が訪ねてきた。韓国人に嫁ぎ、夫に死なれた日本人妻の世話をしている牧師だった。牧師らは教会に「日本人班」を設け、説教や悩みごとの相談を行っていた。吉田さんにその手伝いをしてほしいという頼みだった。
 吉田さんは1981年、韓国に渡った。
 最初は韓国の教会を借りて日本人向けの礼拝を行っていた。同時に、ソウル市内に住む日本人クリスチャンを訪ね歩いた。
 「夫が遺産として残してくれた敷地に日本人教会を建てましょう」
 ある日本人女性信者が提案した。ソウル日本人教会はこうして建設された。92年に建てられたこの教会には、日本人妻や留学生、在日韓国人、日本に関心を持つ韓国人が通っている。
 吉田さんは韓国人の長所として、広い心と勤勉性、熱情を挙げた。2年前のタンカー座礁で海岸に重油が打ち寄せたとき、タオルで油のついた石を一つずつ磨く韓国人の姿を見て、韓国人の熱情と隣人愛を確認できたと話す。
 「私が知っている方なのですが、ある物乞いにラーメンとキムチを施したそうです。するとその人は、涙を流しながら自分に何かできることはないかと聞いてきたというのです。その方は情を施したのです。もしお金だけを与えていたのなら、その物乞いは違った反応を見せていたはずです」

日本人は韓国の歴史を学ぶべき

 吉田さんは韓国と日本が本当に親しい関係になる日を待ちわびている。韓日の真の親善を一日も早く成し遂げるには、日本の韓国観が変わらなければならないという。そして、日本人が韓国の歴史を学ぶことがその近道だと強調する。
 「日本人には『ごめんなさい』、『申し訳ございません』、『すみません』という言葉が身についています。過ちを犯したり、他人に迷惑をかけたりすれば、その場ですぐ謝ります。ところが国としては違います。謝るということができない。私はその根本的な理由が過去の歴史をよく知らず、韓国に対して無知だからだと思います」
 吉田さんは、明治期の脱亜入欧が、いまだに日本の思想を支配していると主張する。地理的にアジアに属し、韓国とは隣り合っている国なのに、日本人はアジア人ではなく西欧人になりたがるというのだ。
 「日本が韓国との葛藤を解く方法は簡単です。認定・謝罪・賠償が三位一体になれば、韓国では過去について誰も問題視しないだろうと確信します。個人ではできるのに、国になるとなぜできないのか?橋本龍太郎元首相は、韓国人の元慰安婦の女性達に『慰労金』という名目で30万円を補助しようとしました。女性達は拒否しました。恩恵を施すかのようにお金を与えることが正しい方法でしょうか? お金の問題ではないと思います。本当に謝罪の心が込められているのかが重要なのです」
 吉田さんは、1965年のいわゆる韓日基本条約で、韓国に対する日本の賠償金支払い義務がなくなったという主張に異議を唱えている。
 当時結ばれた条約は「経済協力」という側面が強く、戦争被害者や在日韓国・朝鮮人に対する賠償という性格は薄かったと考えている。日本政府にはまだ賠償責任が残っており、第2の韓日基本条約締結が必要だというのが吉田さんの一貫した主張だ。
 「例えば慰安婦問題は、当時の韓日交渉の際にまったく扱われなかった。戦争行為を通じた反人倫的な犯罪は、公訴時効がない。日本政府に賠償責任を問う第2次韓日基本条約は成り立ちうるのです」
 吉田さんは教会で毎週水曜日に開いている聖書学習会を8月にはすべてキャンセルする。夏休みの間に日本から韓国にやってくる学生たちにソウル市内を案内するためだ。

彼女達が求めているのは、わずかな「慰労金」などではない。元慰安婦の戦後は終わらない
2009年 日本人学生に伝える韓日の歴史

 日本人学生を連れて案内するのは、大規模な独立運動が起きたソウルのパゴダ公園と、その蜂起をきっかけに日本軍による民間人虐殺事件が起きた水原の堤岩里教会、南北分断の象徴である板門店だ。
 「日本人が韓国人に苦痛を与えた現場で説明を聞くと、学生たちは涙を流します。今まで知らなかったとも言います。一番近い国になるためには『汝の隣人を愛せよ』という聖書の言葉を実践すればよいのです。愛するためには理解しなければならない。その初歩が歴史を知ることなのです」
 吉田さんは、韓国人に対しても忠告を惜しまない。一度友達になれば一生信義が続くこと、公衆道徳、我慢強さは、隣国日本の長所として評価してほしい部分だと話す。
 韓国へ来てからいつのまにか30年が過ぎた。吉田さんは「死ぬまで大韓民国にいます」と言う。ふとした時に、故郷に帰りたいという気持ちにならないものかと聞いた。
 「数年大韓民国に滞在して帰国する日本人駐在員や記者の中には、韓国に悪い印象を抱いたまま帰国する人が少なくありません。数年では大韓民国の歴史を理解するにはあまりにも短い。教会の中にも韓民族の歴史が溶け込んで、ともに流れています。私は韓国人の中に、真の愛国・愛族・愛民を実践する人をたくさん見つけました。恨みの対象だった日本人を愛し、広い心で包み込んでくれる方々でした。そんな韓国人の真心に触れたのです。私は一生大韓民国に住みます。韓国を訪ねてくる故郷の日本人に、韓国のことをもっと知らせなければならないのです」
 吉田さんは30年の韓国生活で、感謝と喜びを感じていると結んだ。


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