対談 ― 韓日米との新機軸を(下)

韓日の「失策」がもたらす脅威とは
日付: 2009年08月15日 00時00分

   日本は拉致や核などからどういう歴史的教訓を得たのか。

 佐藤  何も学んでいない。断固として救出に動かねばならないことも、救出には何が必要なのかも。ちょっと考えるだけで自ずと決まってくる。まず、情報の収集だ。

   韓国も、ソウルが平壌の人質になるという非正常の期間があまりにも長かったせいか、非正常が正常になってしまった。金日成や金正日が存続できたのは、一種の「敵失」のお蔭ではないか。

 佐藤  総連が長い間北を支えたが、日本のバブルがはじけるや、今度は韓国が北を支援することになる。金大中・盧武鉉の10年間の積極的な応援によって、今の北の脅威ができ上がった。要するに、北の本質に対する甘さが脅威をもたらした。自身の安全と生命を自分が護るという意識のなさが金正日を生きながらえさせたのだ。

   北は、生き残るためタスク・フォース「常務組」を作り、「戦争」として必死に頑張る。半面、先進国はこの「戦争」を何人かの役人(主に外交官)に任せるだけ。韓日米の認識や戦略目標にも実は大きな隔たりがある。

 佐藤  北の独裁体制を倒さないかぎり安保の脅威が続くという点で、日韓は基本的立場が一致している。しかし米国はそうでない。日韓米の真の連帯が課題だ。

   韓半島の自由民主主義統一は、韓国と日本にとって祝福だ。アジアのほかの国々にも希望になる。米国は同盟国が主張すれば尊重する。金大中や盧武鉉の要求まで聞いてくれたではないか。日韓の連帯で米国を説得し現状を打開できるはずだ。

 佐藤  北の政権交代を見据えた動きが政界で見えない。日本の民主党は北に対する認識がほぼゼロだ。中国の影響力が大きすぎるとの認識も根強い。日本社会は、今の韓国政府は頼りになると思っていない。韓国でまともな保守政権ができれば韓国と連帯できるという認識を持っている。

   統一されたとしたら、その後の北朝鮮体制はどうなるか。労働党員でも新しい出発に参加・貢献できるようにすべきだと思う。

 佐藤  そのとおり。ただ、北で生まれた人々は体制への選択権がなかったが、総連は違う。総連の半分は新しい国作りに協力するが、残りの半分は逃げると思う。普通の日本人は総連が何たるかを知らないから無関心だろう。

   金正日の死後への準備が必要ではないか。日本ではそういう意識がないのか。

 佐藤  ない。核とミサイル問題は、徹底にヒト・モノ・カネの流れを断てばいいだけなのに、中国や韓国が北を支援するかぎり、効果がないと言い出す者が必ずでる。だが、日本は日本自身のことをやればいい。「現代コリア」はこの問題を提起し続けてきたが、反応がなかった。逆にこのことを平壌や総連はよく知っていた。

   先ほどから中国の話が出ている。韓半島が韓国によって統一されることが中国自身にもプラスになるのだが。

 佐藤  中国共産党の幹部は、共産党によって地位が保障されるから、それが脅かされると抵抗する。だから、自由による統一という思想を拡散することは、それこそ共産主義との戦いになる。こういう位置づけ、認識が日本にはない。多くの日本人は拉致問題だって、自分の子供が拉致されなければいいと考えている。可哀想だがカンパ程度で済ませる。豊かになったが、そのせいか自分も護れなくなる。平和で豊か、自由だから、なぜこれ以上「反日の朝鮮半島」に日本がコミットせねばならないのかと考える。もちろん、そうでない人もいるが。

   韓国・韓半島が「反日」という印象を与えた決定的な出来事は何だろう。

 佐藤  一般人にはまず李承晩ラインだろう。日本の漁船をたくさん拿捕し、当時の日本国民に反感を与えた。その後の歴代大統領の中では、全斗煥、盧泰愚大統領。彼らは日本に来るたびに天皇に謝罪を要求した。「何度謝ればいいのか」と保守勢力の反感を買った。金大中は、国民的反感は買わなかったようだが、盧武鉉は軽蔑の対象にすらなっている。日本の左翼人士を韓国側が好意的に遇するのも反感を招いた。

   歴代大統領の中で、朴正熙はどうか。

 佐藤  朴大統領は国のために尽くし、清廉潔白で質素なイメージだ。

   李明博政府は発足後1年半がたつ。しかしいまだ「親北左翼」の勢力は強い。彼らをはじめ、親北派の当事者の退場や交代が変化のきっかけになるのでは。

 佐藤  自殺した盧武鉉氏はもちろん、金正日、金大中氏が亡くなれば人間として哀悼の念は感じるだろう。しかし、韓国の歴史と現状における彼らの役割に対して、私はほぼ全否定する。特に大統領退任後も北側と連携し、金正日の代弁者だった彼らの退場は、健全な韓国民や韓国の未来にプラスになる。

(佐藤勝巳 さとう・かつみ 1929年、新潟県生まれ。60年代に在日朝鮮人の帰還事業などを積極的に推進したこともある。84年より現代コリア研究所所長。98年、救う会会長に。)


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