背後から拳銃「笑顔の握手」

日付: 2009年08月07日 21時47分

佐藤勝巳
  8月4日、突然ビル・クリントン元大統領がピョンヤンを訪問、拘束されていた2人の米国人女性記者を連れて帰ってきた。
 
   オバマ政権は繰り返し、ビル・クリントン元大統領の訪朝は民間人として、と政府と一線を画していることを強調している。ビル・クリントン氏が金正日氏と何の話をしたのか、この原稿を書いている段階では分からないが、まもなくオバマ政権の動きが説明してくれるであろう。
  
   ヒラリー・クリントン国務長官は周知のように繰り返し、北の非核化は米朝ではなく6者協議で解決と主張してきた。金正日政権に対する国連での制裁決議も日本と一緒に動いてきたのに、ビル・クリントン氏の訪朝にアメリカ政府が関与していたとなれば、オバマ政権はブッシュ政権と同じように国連決議破り戦犯1号となり、国際的信用は失墜する。
 
   訪朝はアメリカ政府と関係ないと言っても、ビル・クリントンとヒラリー・クリントンは夫婦である。わが国には「ウソも方便」という言葉がある。オバマ政権は、2人の米国人女性記者を釈放させるために、うそを言って金正日を騙しても後ろめたさを感じる必要はない。
   日本には「ウソは泥棒の始まり」と言う言葉があるように、うそに嫌悪感を持っている体質がある。が、金正日政権相手で、それは有害である。
 
   金正日政権にとって、超大国アメリカの元大統領、現職国務長官の夫が、はるばるピョンヤンまで来て、「謝罪」し、「感謝」の意を将軍様に表明したことで「将軍様は偉い」ということが証明された。1990年9月当時自民党の実力者金丸信氏が、社会党の田辺誠副委員長と訪朝、植民地支配に対する謝罪を表明したとき、金日成は内部に「金丸氏が謝罪にピョンヤンにやってきたので、許してやり日本人抑留船員を恩赦で釈放してやった」と宣伝、自己満足に浸っていたが、今度も判で押したように同じ対応である。
 
   問題は、オバマ政権が核問題などでどう動くか、である。8月4日付本コラムで触れているように、金正日政権が核を放棄することを(言葉で)認めれば「包括的」な話合いに応じると国務長官は提案している。だが、アメリカは過去、2回も金正日政権に騙されている。2度あることは3度あるのか、現時点では何とも言えない。
 
   アメリカはアメリカの都合で動いている。日本は日本の都合で動けばよいだけの話であるが、その日本は“何が日本の利益なのかのコンセンサスがない”からどうしようもない。
 
   ビル・クリントン氏が金正日との会談で拉致解決に触れた、と一部メディアが報道しているが、ブッシュ前大統領は、横田早紀江氏とその息子に会ったとき、拉致解決に協力すると公言したことは記憶に新しい。しかし、拉致解決に何の進展もないのに、テロ支援国家指定を解除したのは10ヵ月前のことだ。
 
   ご配慮は有難いが金正日政権は言葉では動かない。2ヵ月前の6月中旬、米第七艦隊が北の貨物船江南号を包囲追跡し、東南アジアの港に入港できないように武力で威嚇した。そうしたら、金正日政権は「話し合いましょう」、とオバマ政権に呼びかけてきた。第七艦隊を動かすことで2人の女性記者を取り返した、という見方も出来る。多分、そうだったと思う。
 
   それにしても金正日氏のしたたかさは、敵ながらあっぱれだ。西部劇流に言うなら、背中から拳銃を突きつけられての「笑顔の握手」であったはずであるが、顔の艶も良く、笑顔も絶やさなかった。空母ジョージ・ワシントン、イージス艦9隻、攻撃用原子力潜水艦、駆逐艦など第七艦隊60隻、200機の航空機、2千数百発の巡航ミサイルに包囲された中で、したたかに「俳優」並みのパフォーマンスをやってのけた。米朝ともに政治生命を賭けての闘いである。外交をゲームなどと呼ぶ人がいるが、本質は戦争なのだ。
 
   金正日が日本人拉致を認めて7年も経過しているというのに、わが国は未だに解決出来ないでいる。依然として〝話し合い解決〟などとナンセンスなことを言っている人たちがいる。だが、今回の米朝交渉のように、武力でしか事態は動かないことは明らかだ。
 
   日本が抱えている最大の問題は、政治家が駄目だ、政府が駄目だ、というレベルの話ではなく、武力を持ってでも国家主権と自分自身を守るという有権者の意識が希薄なことだ。今回のアメリカの砲艦外交から何を学ぶか、というのが総選挙での最大の課題であろう。
 

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