趙甲済
米国の核爆弾専門家の二人-トーマスC. リードとダニB. スチールマンが書いた「核特急」(The Nuclear Express)という本が話題だ。今年の春出版されたこの本は、ロスアラモスとリボモオ研究所で核爆弾の設計などを担当した1級専門家の二人が書いた本という点で、またスチールマンが中国の核武器開発および実験施設を10年間訪問調査してから書いたという点から興味深い。この本の中で二人は、中国が事実上北韓の原爆開発を助け、北韓の核武装を解除させる考えがないと主張した。北核の共犯が中国というわけだ。月刊朝鮮8月号に掲載された記事の一部を紹介する。
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パキスタンの原爆実験を代行した中国
共著者のスチールマンは、この本で中国の最高指導者だった鄧小平が中国の核とミサイル技術をパキスタンなどイスラム国家と共産国家(北韓)に拡散することに決めたのは1982年だったと主張した。
<中国はアールジェリアと秘密協定を結んで原子炉を建設してあげることにした。CSS-2ミサイルをサウジに売った。北韓に対しては全面的な核支援を行なった。特に、パキスタンの核開発を積極的に支援した。>
中国は、ライバルのインドの宿敵であるパキスタンが原爆開発に乗り出すや技術者らを招聘して教育もさせ、CHIC-4と呼ばれる単純構造の原子爆弾設計に対する情報を渡した。パキスタンの核開発責任者であり、この頃「死の核商人」と呼ばれるA.Q.カーン博士は、この資料をリビアに売った。 リビアが数年前、核開発の放棄を宣言した時、洋服店用の白いプラスチックに入っているこの設計図の存在が知らされた。
当時のパキスタンの実力者は、軍事クーデターで執権したジハウル・ハク将軍だった。彼はアメリカ側に立って、アフガニスタンを侵攻したソ連に対する抵抗運動を支援していた。レーガン大統領は親米的なパキスタンが中国から原爆開発の支援を受けている事実を知ったが、目を瞑ってあげただろう。
中国は、パキスタンの原爆実験まで代行してあげたとスチールマンは主張する。中国が35度目と名付けた核実験は、1990年5月26日新彊省のロプ・ヌル実験場で行なわれた。ウラニウム弾だったが、爆発力は10kt程度と推定された。スチールマンは、この実験の時使われた核爆破装置のCHIC-4は、8年後の1998年5月28日パキスタンが自国内で実験した原爆と同型だと主張する。パキスタンはインドが核実験をするや17日後に対応の核実験をやった。こんなに速く対応でき、またあらかじめ実験計画を発表するほど自信感が持てたのは、1990年中国で実験した資料があったおかげだということだ。 アメリカも、1990年代に英国のためネバタ砂漠で核実験をやったことがある。イスラエルと南アフリカも大西洋で共同核実験をしたと推定される。スチールマンは、中国が代行実験の時、起爆装置の中性子発生技術を提供したといった。
中国の原爆設計を改良した北韓
スチールマンは、「核特急」で、パキスタンが北韓と、ミサイル-核技術交換協定を結んだのは、べナジル・ブッド首相の時だったと主張する。北韓はノドン・ミサイルの技術を販売し、パキスタンは濃縮ウラニウムの技術を北韓に提供することにしたという。「朝鮮労働党」の国際担当秘書だった黄長燁先生は、筆者にこう証言したことがある。
<1990年代初、金日成が生きていた時にも核兵器開発の責任者(労働党軍需工業部長)の全炳浩が核実験計画を立てて許可を受けようとしました。全炳浩は、「私たちは核実験の準備ができているのに、なぜ主席が許可しないのか分からない」と不平を言いました。1994年のジュネーブ合意後は、私を訪ねて、「ロシアからプルトニウムを得られないだろうか」と訊きました。私が、「なぜまだ充分でないのか」と訊いたところ、彼は「いくつかもっと作って置かねばならない」と話しました。それからしばらくして、全炳浩が現れては、「もうよい。パキスタンと協力することにした」と話しました。>
パキスタンは1998年5月28日に五回、30日に六回目の核実験を行なったと発表した。アメリカは、六回目の核実験を行なった地域でプルトニウムを検出した。パキスタンはウラニウム濃縮方式の原爆開発をしていたため、このプルトニウム弾に対してうわさが多かった。北韓から持ってきたプルトニウムを用いたという話もあった。この実験を北韓の技術者らが現場で参観したという情報もあった。スチールマンは自分の本の中で、六回目の核爆破装置に入ったプルトニウムは、パキスタン側が原子力発電所から不法的に取り出した核燃料を再処理したものである可能性があるという見解を明らかにした。
スチールマンは、北韓の原爆開発に中国の支援があったと主張する。彼は、「中国の友人たち」が、北韓は中国のCHIC-4型の原爆設計図を改良したものを持っているという話をしたと紹介した。この型は、中国が核開発途上国らに対する一種の「輸出用」として設計したもので、作りやすい。スチールマンは、パキスタン、北韓、リビア、イランにこの設計図が渡ったと思う。スチールマンは、2006年10月9日の北韓の核実験に使われた設計図は、ウラニウム弾であるCHIC-4をプルトニウム用に変形させたものである可能性が高いといった。 この型なら、12ktの爆発力が出るべきなのに、設計分の約4%である400tに終わった理由を次のように分析した。
(1) 爆破装置の設計未熟、(2) 中性子発生装置の故障、(3) 設計変更時の錯誤。
スチールマンは、北韓が濃縮ウラニウムや原始的形態の原爆を作れば、ミサイルと同様に外国に売る可能性が高いと指摘する。2000年にリビアは50基の中距離ノドン・ミサイルを輸入するのに6億ドルを支払った。 北韓は2006年の核実験で国連の制裁を受ける環境でもシリアに寧辺型の原子炉を建ててあげてイスラエルの爆撃を自ら招いた。北韓側が去る4月、ミサイルを発射した現場にはイランからの参観団が来ていたという。 中国-パキスタン‐北韓の核開発トライアングルと共に北韓-イラン-シリアの核およびミサイル取引のトライアングルが作動している。
中国は止めさせる真似をするだけ!
スチールマンはこう書いた。
<中国は核やミサイル技術を、イラン、シリア、パキスタン、エジプト、リビア、イエメンに売るにあたって、北韓を再移転のポイント(re-transfer point)として利用してきた。中国は、北韓-パキスタンの間のミサイルと核装備の取引を見ながら、何の措置も取らなかった。中国と北韓の将校らは、1998年と2006年のミサイル発射実験の前、緊密に情報を交流した。>
北韓は、パキスタンでウラニウム濃縮用として作った往復ガス・シリンダーに、第6弗化ウラニウムを入れて、リビアに密輸出したことがある。当時リビアは、パキスタンのカーン博士に1億ドルを払うことにして原爆用のウラニウム濃縮施設を作っていた。
スチールマンは、こういう核とミサイルの取引は、中国の黙認や協力なしでは不可能だと指摘する。核物質とミサイルの輸出には中国領空を通過する航空便を利用せねばならないからだ。スチールマンは、北韓がチャベスが左傾化させたベネズエラや反米的なメキシコへも接近するかも知れないと言った。
2006年、北韓の核実験の直後、北韓を訪問して金正日と会った中国国務委員の唐家璇は、金正日に胡錦濤国家主席のメッセージを伝え、この席で金正日は、「追加の核実験はない。金融制裁を解けば6者会談に戻る」と話したという。 スチールマンは、中国が北韓の原爆開発を事実上支援してきたため、「急に真面目になって」金正日に(原爆の)開発中止を注文はしなかったはずだと分析した。ただ、あまり挑発的な行動は慎むように、との忠告があったはずだと評した。
スチールマンは、1982年、鄧小平が第3世界、特にイスラムと共産圏国家らの核開発を支援することに決めた以後、中国は一貫した行動を取ってきたと見る。中国はこれらの国々の核関連科学者らを訓練させ、技術を提供し、核運搬手段を売り、そういう目的のための基礎工事をやってあげた。このように核技術を拡散させた中国が、北韓の核開発阻止に出るのは不可能だということだ。つまり、中国と北韓は共犯というわけだ。
スチールマンは、米国の核関連専門家たちの間では、北韓は「聖域」か「自由貿易地帯」と呼ばれるといった。北韓は、他の核開発国家(主にイスラム国家)のための倉庫や修理廠の役割をしているということだ。イラクのようなイスラム国家とは違って、北韓は秘密が保障されどの国からも攻撃を受けないと保障されているからだという。一時は、フセインがアメリカの侵攻の前に、核開発施設を北韓に移したという噂(可能性が殆どないが)が出回るほどだったという。
中国が領空の通過を許す限り...
米議会調査局(CRS)の韓半島専門家のラリーニクシュ博士は、北側の第2次核実験に対する国連安保理の対北制裁決議1874号が、公海上で疑わしい北韓船舶を停船させ捜索することに対しては比較的詳細に明示した反面、航空貨物の検索に関しては曖昧にしておいたため、実質的な実効をあげ難いと指摘した。
ニクシュ博士は、去る7月10日の「自由アジア放送(RFA)」との電話通話で、北韓が大量殺傷武器とその関連技術を輸送し、関連科学者や技術者を交換する主要経路は、海上交通でなく航空交通だと分析した。特に、北韓とイランを行き来する航空機に積載された北韓貨物を検索することが鍵だという説明だった。問題は、この航空検索の鍵を中国が握っているということだ。
ニクシュは、北韓が色んな国々にミサイルや関連技術を輸出して毎年15億ドルほどを稼いでいるが、この最大の輸入国はイランであり、北側が去る4月5日、テポドン2号ミサイルを発射する時も、15人のイラン代表団が参観した事実を挙げた。このような北韓とイラン間のミサイル協力は、中国当局の黙認があったため可能だった。イランと北韓の航空機は中国当局からの領空通過の許可を得なければならないからだ。最近、フィリップ・ゴールドバーグ国務部調整官が率いるアメリカの対北制裁専門担当班が、中国を訪問して中国の外交部、人民銀行、税関など関係者で構成された政府合同代表団と会った時、中国側に対し北韓からミサイルなど武器をイランへ搬出する航空機の領空通過を許可しないように促したではないかとニクシュ博士は言った。
だが、中国が、国連安保理の制裁決議よりその範囲や強度が強い「航空捜索」を積極的に受容れることは容易でないことだと自由アジア放送が報道した。スチールマンとリードの本を読めば、中国が、核拡散奨励から核拡散禁止へという戦略的大転換をしない限り、北韓に対する国際的制裁に協力どころか、協力するふりをしながら、妨害ばかりするのではないかという気がする。