大韓民国の放送を創ろう!

日付: 2009年07月23日 02時59分

柳根一
政権が交替してから1年半ぶりに本に政わったという感をした2009年の7月22日だった。「メディア法」の成立がそれだ。金大中・盧武鉉権が10年間使してきた欺瞞的民扇動のラッパ手らが彼らの占的地位を奪され始めたメディア界の地殻変動だった。
 
東は「力は銃口から生れる」と言ったが、今日の大衆民主主義社では力は電波媒体から生れる。大衆社会の構成員らは大学ばかりか院を10個出ても放送の餌食同然だ。放送が、「夏がくれば川の水が凍りつく」と吹きつければ大衆はそれをそのまま信じる。威主義時代には「チン・全・ニュス」で大衆を駆立て、左派10年間は「アメリカ産牛肉を食べれば人間狂牛病にかかる」と大衆を眩惑した。
 
数日前まで「朴淵次ゲトを徹底的に査せよ」としたのが、盧武鉉が自殺するやいなや「盧武鉉前大統領が逝去」とメディアらが塗り潰すから、大衆は忽ち市前の場を埋め尽くした。それが今日の高学歴の大衆である。そしてそういう大衆を弄ぶのがメディアだ。特に放送がそうである。金大中・盧武鉉はメディアのそのような魔術をいち早く看破し、放送を自分たちの強固な陣地にした。「メディア法」はその牙城の厚い障壁を取崩そうというものだった。
今や大統領選までは3年半がった。放送の多性を確立できないと、政はまた左派へ渡され得る。それでKBS・MBCのえこひいきを除毒できる公正な放送が至急に出現しなければならない。公正な番組を作る作家、PD、演出家、記者たちもはやく確保せねばならない。今の放送ではニュスや時事養番組だけでなく、演芸、娯楽番組まで左派的偏向性が掌握している。これを牽制せずには李明博政府はもちろん、大韓民もまともに護れない。
 
各大には非左派的生たちがいないはずがない。彼らの中には将来メディア界に進出したいという抱負を持った生たちがいるはずだ。彼らを今から育てて訓練させ、支援して、彼らを新しい電波媒体に大進出させねばならない。大韓民は急いで「言論校」みたいなものを作って、将来の放送記者、PD、作家、演出家を養成しなければならない。彼らに自由主義の言論育して、の言論人とは、理念の捕虜になった「報道のき手」でなく、事を事だと言い、りをりだと言える預言者的知性人であることを教えねばならない。
 
大韓民は、これから1年以に大韓民に忠な公正放送を少なくとも二つほどは作るという決意で一大民運動を展開せねばならない。募金運動でもいいし、放送社の設立運動でも良い。大韓民はこのことに死活を掛けねばならない。それくらいもできない陣なら、いっそ皿の水に鼻を突っ込み死なねばならない。盧武鉉ほどでもない右派なら、そういう右派を果たして何に使えるだろうか?
 
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2009.07.22 22:00

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