柳根一
政権が交替してから1年半ぶりに本当に政権が変わったという実感をした2009年の7月22日だった。「メディア法」の成立がそれだ。金大中・盧武鉉政権が10年間駆使してきた欺瞞的国民扇動のラッパ手らが彼らの独占的地位を剥奪され始めたメディア界の地殻変動だった。
毛沢東は「権力は銃口から生れる」と言ったが、今日の大衆民主主義社会では権力は電波媒体から生れる。大衆社会の構成員らは大学ばかりか大学院を10個出ても放送の餌食同然だ。放送が、「夏がくれば川の水が凍りつく」と吹きつければ大衆はそれをそのまま信じる。権威主義時代には「チン・全・ニュース」で大衆を駆立て、左派10年間は「アメリカ産牛肉を食べれば人間狂牛病にかかる」と大衆を眩惑した。
数日前まで「朴淵次ゲートを徹底的に捜査せよ」としたのが、盧武鉉が自殺するやいなや「盧武鉉前大統領が逝去」とメディアらが塗り潰すから、大衆は忽ち市庁前の広場を埋め尽くした。それが今日の高学歴の大衆である。そしてそういう大衆を弄ぶのがメディアだ。特に放送がそうである。金大中・盧武鉉政権はメディアのそのような魔術をいち早く看破し、放送を自分たちの強固な陣地にした。「メディア法」はその牙城の厚い障壁を取崩そうというものだった。
今や大統領選挙までは3年半が残った。放送の多様性を確立できないと、政権はまた左派へ渡され得る。それでKBS・MBCのえこひいきを除毒できる公正な放送が至急に出現しなければならない。公正な番組を作る作家、PD、演出家、記者たちもはやく確保せねばならない。今の放送ではニュースや時事教養番組だけでなく、演芸、娯楽番組まで左派的偏向性が掌握している。これを牽制せずには李明博政府はもちろん、大韓民国もまともに護れない。
各大学には非左派的学生たちがいないはずがない。彼らの中には将来メディア界に進出したいという抱負を持った学生たちがいるはずだ。彼らを今から育てて訓練させ、支援して、彼らを新しい電波媒体に大挙進出させねばならない。大韓民国陣営は急いで「言論学校」みたいなものを作って、将来の放送記者、PD、作家、演出家を養成しなければならない。彼らに自由主義の言論観を教育して、真の言論人とは、理念の捕虜になった「報道の働き手」でなく、事実を事実だと言い、偽りを偽りだと言える預言者的知性人であることを教えねばならない。
大韓民国陣営は、これから1年以内に大韓民国に忠実な公正放送を少なくとも二つほどは作るという決意で一大国民運動を展開せねばならない。募金運動でもいいし、放送会社の設立運動でも良い。大韓民国陣営はこのことに死活を掛けねばならない。それくらいもできない陣営なら、いっそ皿の水に鼻を突っ込み死なねばならない。盧武鉉ほどでもない右派なら、そういう右派を果たして何に使えるだろうか?