改めて感心させられた朴正煕のグリーン・ベルト政策

環境問題に無関心だったその時代に、どのようにそういう決断が下せたのだろうか?
日付: 2009年07月18日 02時26分

趙甲済
今日、東京から横浜を列車で往復した。東京-川崎-横浜は事実上一つの都市圏につながっている。境界を示す川も山も見えない。列車は全く同じ風景の都心部を走る。
 
韓国の首都圏より劣る点が一つある。森が少ないということだ。韓国のようなグリーン・ベルトがないためだ。多くの日本人は韓国のグリーン・ベルトを羨ましく思う。緻密な日本人たちも森、緑地、山、河川の保存がこんなに大事なことであるのを開発年代にまだ分からなかった。
 
ところが、朴正煕大統領は、1970年代にすでに森の大切さが分かった。彼が全国の主要都市圏に設定したグリーン・ベルトが、今日韓国の環境を世界的な水準に格上げさせている。グリーン・ベルトは、誰の建議を受けて決めたものでなく、朴大統領が発想し決断した政策だ。
 
専門家でなかった彼が、重化学工業の建設、中東建設市場への進出、新しい村興し事業、ソウル・オリンピック誘致計画など、長期的な眼目の決定が下せた秘訣が知りたい。読書と思索から生まれた洞察力ではなかったのかと思われる。このような決定らを1970年代に下さなかったら、韓国は永遠に1流国家を夢見ることもできない状況になっただろう。例えば、1990年代に今のようなグリーン・ベルトを設定しようとしたら、恐らく「民乱」が起きただろう。グリーン・ベルトとして設定できた緑地も残っていなかったはずだ。
 
朴正煕大統領の、歴史のタイミングを逃さなかった決断が、今日の韓国を作った。李明博大統領は、「自由統一」のため、そのような決断が下せるだろうか?
 
www.chogabje.com 2009-07-18 00:08

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