『玉城素の北朝鮮研究 金正日の10年を読み解く』 玉城素著

恵谷治書評=北朝鮮研究の第一人者が残した最新論文収録
日付: 2009年06月17日 00時00分

 玉城素先生と初めてお会いしたのは、1991年のことだった。
 1980年代からソ連取材を繰り返していた私は、1991年の「8月クーデター」が勃発するや、直ちにモスクワに飛び、失敗したクーデターの経緯を調査した。その帰途のハバロフスクで、金日成が満洲から脱出した後に滞在していたヴャツコエ村(第88特別旅団跡地)を、私は日本人として初めて訪れた。
 ヴャツコエ村には、荒れ果てた第88特別旅団の兵舎がまだ残っていた。ヴャツコエ村訪問の1カ月前、実は私は北朝鮮を旅し、白頭山南麓にある捏造された金正日の生誕地「白頭山密営」を見ていたのである。ソ連から帰国後、私はヴャツコエ村の取材結果を写真とともに、雑誌に発表した。その記事が玉城先生の目にとまり、電話をいただいた。
 私は1987年に初めて北朝鮮を訪れて以降、北朝鮮に関する書籍を読みあさっているなかで、玉城先生の『金日成の思想と行動』と『朝鮮民主主義人民共和国の神話と現実』と出会った。それらを読み終わったとき、私は完全に玉城素の信奉者になっており、その本人から直接電話があったときには、正直に言って驚き恐縮した。「NK会という集まりで、ヴャツコエ村の話をしてもらえないか」と言われ、喜んで引き受けた。
 以来、私はNK会の一員となり、尊敬する玉城先生から薫陶を受け、北朝鮮研究に励んだ。ソ連が崩壊したため、私の研究対象は自然に北朝鮮へと移行し、NK会とは別に、玉城先生の個人的な会合にも参加するようになり、帰り道には毎回ビールを飲んで、さらに話の花を咲かせるという日々を送った。
 NK会が1995年に終戦50周年企画として、訪中団を組織し、玉城先生を団長として旧満洲を訪れた際、私はガイド役を務めた。広大な満洲平原を走るバスのなかで、玉城先生は『孫子の兵法』を読んでおり、抗日パルチザンと関東軍の戦闘に思いを馳せていた。日共時代の非公然組織「山村工作隊」で活動していた若き日の自分と重ね合わせてか、「ここでならゲリラ戦ができる、若かったならね」ともらした言葉が強く印象に残っている。
 玉城先生は革命家、運動家としての実践を通じて、マルクス主義理論を再検証する一方で、マルクス理論に照らし合わせながら、金日成研究を徹底的におこない、金日成の欺瞞を暴いた先駆者である。
 知的好奇心が旺盛だった玉城先生は、北朝鮮のみならず様々な分野で、膨大な著作を残されているが、本書には逝去されるまでの過去10年間ほどの北朝鮮に関する、いわば最新の玉城論文が収録されている。
 私は作家の関川夏央氏とともに、NK会編として3冊の編集にたずさわったが、いずれの本にも玉城論文が載っている。
 この3冊は専門家ではなく一般読者を対象としているため、玉城先生は意識的に論文調を避け、読み易く書いている。本書にはそのうちのひとつ、「南北首脳会談の意味」が収録されている。
 玉城先生は一般書に原稿を書くようになってから、40年におよぶ北朝鮮情報の集積を噛み砕きながら、北朝鮮の門外漢にも分かり易い文章を書くように心がけていることが、その記述から読み取れる。それが本書の特徴のひとつとなっており、多くの人びとに読んでもらえる好著となっている。
 本書は玉城先生の遺稿集であると同時に、金正日独裁の運命を読み取る未来書でもある。
 (えや おさむ ジャーナリスト)


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