「もちろん味なんかわからなかった」祥一は箸を取り、なめこおろしをひと口食べてから応えた。「コップに一杯ばかり飲んだら、ひどく酔っ払っちゃってね、畳の上にひっくり返っていたら、天井がぐるぐる回るんだ。あのときばかりは天動説を信じたね」
祥一は冗談をいったが、伊吹は笑いもせずに酒を口に入れた。
「しかし、おやじの造った酒は、評判はよかったようだね。飲み屋を開いていたわけでもないのに、よく近所のおやじさんたちがコップ酒をひっかけに家にきていた。刑事も飲みにきていたよ」
「刑事?」
「そうさ。おやじの知り合いの刑事がときどき二、三人連れでやってきてね、たぶん、おやじの方で招いたんだろう、そういう刑事たちに、おやじは自分の造った酒を出してもてなしていた」
「刑事は、密造酒だってことを知っていたのかい」
「ぼくもそれを怪訝(けげん)に思って、おやじにきいたら、知ってるんじゃねえかなあ、なんていっていた。つまり、おやじは、自分が密造酒を造っていることは、刑事たちから暗黙の了解を得ていると思っていたらしいな」
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家のすぐ裏は母屋と同じほどの大きさの物置になっていて、父はそこを醸造場にしていた。いくつかの段階を経て、いよいよ酒の蒸留をはじめるときは、朝の三時頃に開一始するのが常だった。
そういうときは、祥一も一緒に起きて、竈(かまど)の火を一定に保つ仕事を手伝った。燃料が薪だから、竈の火勢を一定に保つには、絶えず薪の燃え加減に注意していなければならない。父母は他の[作業で忙しいので、火加減の調節の役目は、祥一がみずから無言のうちにはじめた手伝いだった。子供心に、父の仕事のたいへんさが感じられた。火加減の調節ぐらいだったら、自分にもできる、そう思って手伝うことにしたのだ。祥一が小学校四年のときだった。
みずからはじめた手伝いとはいえ、寒気の厳しい冬の早朝に起きるのは、さすがに辛かった。眠気を押し殺して竈に薪をくべながら、そのとき、祥一は、生きることの辛さを感じていたように思う。こんなことをしなければ生きられない人生とは何なのか、と無意識のうちにも感じていたと思う。とにかく、何か辛く、悲しく、そして心細かった。その思いは生きることのやりきれなさに通じていた。
「密造酒で刑事を丸め込んだわけか」
と伊吹はまた冷やっこをつまんだ。
「だが税務署を丸め込むことができなかった。ある朝、とうとう税務署の手入れを受ける羽目になった」
「手入れ?」
「家宅捜索さ」
あの朝も、辛く、やりきれなかった。というより、恐ろしかった。
祥一が小学校五年の秋だった。父が酒の密造をはじめてから三年ほど経っていた。
ある日の早朝、二階の部屋で寝ていた祥一は、不意に階下からきこえてきた異様なざわめきに目を醒(さ)まされた。母が悲鳴をあげている。
何ごとかと、祥一が驚いて蒲団を離れた途端、部屋の障子が乱暴に開けられ、数人の男が入ってきて、押入れや、箪笥の抽出しや、さらには祥一の机の抽出しまで開けて中を物角しはじめた。
1984年8月3日4面掲載