趙甲済
「左傾運動圏」の学生たちのように集団行動をするいわゆる少壮判事たちに言いたいことがある。 一般的に、集団には良心がない! 個人には良心がある。自由民主主義の根本が、個人の自由の保護というのはそもそも理由がある。裁判を、ありもしない集団的良心でやるというのが人民裁判論だ。李容勲大法院長が言う「国民裁判論」も憲法精神を否定する良心のない主張だ。
裁判は、法律と良心に従ってすることになっている。裁判は、集団的決断でなく、個人的決断を要求する。一部の少壮判事らが状況を誇張、歪曲して、集団的に、それも外部から左傾勢力の力を借りて何かをやってみると徒党を組むのは、法と良心に従う裁判を、自ら脅かす自己否定的行動だ。彼らの遣り方から、私は「ロウソク乱動」屋らの態度のようなことを感じる。こういう判事らに、個人と社会と組織と国家の運命を決定する裁判を任せるというのは、鳥肌の立つことだ。判事たちは徒党を組むな! 判事たちは孤独を楽しめ!
古来、一人で解決できることを族のように徒党を組み解決しようとする人々の胸中には、共通して奴隷根性が隠れている。徒党を組んでの喧嘩はよくやるが、「決闘文化」のない国の悲劇だ。