本書は武闘派やくざとして知られた町井久之(韓国名・鄭建永)の一代記である。
東声会というやくざのボスだった町井が、反共運動を通して右翼の大物である児玉誉士夫に私淑、さらに韓国の朴正煕元大統領のボディガードであり、韓国ナンバー2の実力者といわれた朴鐘圭と親交を結んで、日韓国交正常化交渉の黒衣として活躍する様子が関係者の証言で綴られる。
さらに政治的な活動の一方、親友であるプロレスラーの力道山とも親交を結んで実業界に進出、日本において高級クラブ流行の先べんをつけるなど、風俗史にも特異な足跡を残した。
その意味ではユニークな戦後史であり、複雑な人間関係や政治的な背景が手際よく整理されているせいもあって、読みながら戦後史の場面に立ち会っているような臨場感を味わうことができる。
だが私は本書を、過剰なエネルギーと夢を持った男の挫折の軌跡として読んだ。
町井は少年時代、画家になるためフランスへ留学したいと願っていたが、父親の反対で諦めざるを得なかった。それでも芸術への憧れは死ぬまで持ち続け、著名な美術品を収集していた。
フランスの俳優のアラン・ドロンは世界的な美術品のコレクターとして知られていたが、1983年に来日した際には、真っ先に町井のコレクションを見せて欲しいと尋ねてきたという。
その後、在日への偏見に対する反発からやくざになった町井は、それにもあきたらず、韓国への援助など愛国的な行動に全霊を傾ける。彼の存在なくしては日韓の正常化もかなわなかったのではないかと思われるほどの献身ぶりである。
ところが師と仰いだ児玉がロッキード事件で賄賂を受け取っていたことが発覚、さらに朴正煕元大統領が暗殺された後は、韓国内でもうさん臭い人物として敬遠されがちになり、理想の楽園の建設を目指した那須白河高原開発は、韓国外換銀行の町井への不正融資と見なされて頓挫するなど、夢と挫折の一生である。
もちろん挫折した理由には融資のストップだけでなく、事業計画があまりに理想主義的で、採算を度外視していたなどの面はあるが、それも夢に対する情熱のなせるわざであった。彼のイデオロギーは別として、この種の直情径行を、私は嫌いではない。
(しもかわ こうし 風俗史家)