鄭昌仁(自由統一フォーラム代表)
生誕134周年: 李承晩博士は韓民族が輩出した英雄
今日は、「建国大統領」李承晩博士が誕生して134周年になる記念日である。李承晩博士は生涯を韓国の独立のため献身され、解放後、祖国が共産化の危機に置かれた時、自由民主主義を護り抜いた偉大な英雄だ。
ところが、今日李承晩博士に対する評価は一般的に良くない。それは北側の共産主義者らの悪意的かつ捏造された攻撃や、これに同調する南韓の親北左翼反逆勢力の無差別的な攻撃、そして自分たちの「民主化義挙」、あるいは「クーデター」を正当化しようとする「4.19世代」や「5.16勢力」が、同時に李承晩博士を攻撃しているためだ。言わば、李承晩博士の建国の功労と自由民主主義守護の功労が、左・右合作で無視され、李承晩博士はただ独裁者としてのみ知られたのだ。だが、これは誤った攻撃であり、認識だ。
まず、李承晩博士は大韓民国を建国した建国の父である。しかし、親北左翼反逆勢力は建国の事実そのものを否定する。彼らは、臨時政府樹立宣布を建国と混同している。だが、韓国人の直接・秘密・普通・平等選挙を通じて韓民族歴史上初めての民主国家が誕生したから、1948年8月15日の大韓民国の建国は明確に建国であって政府樹立でない。だが、北韓では共産党が単に政権を掌握しただけで、それは建国と言えず、特に正統性を保有していない。
解放政局で、ただ李承晩博士だけが総選挙による建国を主張し、国連監視下の総選挙を通じてこれを貫徹させた。したがって、大韓民国は韓民族の意思を代表する正統性のある国家であり、大韓民国はその時建国されたのだ。当時、李承晩博士を除いた他の人々は、共産党との合作政府樹立だけが生きる道だと錯覚してこの路線を固執した。ただ、李承晩博士だけが民意に基づき、共産主義に反対する自由民主国家の建国を主張したのだ。したがって、李承晩博士は建国大統領として崇めて当然だ。
二番目、李承晩大統領には祖国分断の責任がない。李承晩大統領に対して祖国分断の責任があると主張する勢力は、専ら北の共産主義集団とこれに同調する韓国の親北左翼反逆勢力だけだ。祖国の分断は、当時の国際情勢から誰も防げなかったし、当時統一が可能だったと主張する人々は、ただソ連の傀儡政権である北韓の共産政権が統一すべきだったと主張する反逆者たちに過ぎない。
李承晩大統領は、祖国の共産化を防ぐため憤然とソ連と米国、そして韓国の左右合作勢力に立向かって戦った偉大な自由民主の闘士だ。李承晩大統領がいなかったら、自由民主主義に立った大韓民国は、建国もできず、また維持もできなかった。したがって、李承晩大統領は祖国の共産化を防いだ英雄だ。共産化を止めた李承晩大統領に祖国分断の責任を問うのは共産主義者だけだ。祖国は、むしろソ連を祖国として崇める共産主義者らのため分断されたのだ。彼らこそ国連監視下の総選挙を通じての統一国家の建国を拒否した分断勢力だ。したがって、李承晩大統領には祖国分断の責任がない。
三番目、李承晩大統領は、大韓民国の民主化の礎石を据えた方であり、民主主義の発展のため十字架を背負った方だ。彼を単純に独裁者として罵倒するのは、当時の劣悪な現実を考慮しない行動だ。李承晩大統領は、よく「4.19世代」と「5.16勢力」によって独裁者として罵倒されているが、これは短見だ。特に、北の共産独裁者とこれに追従する韓国の親北左翼反逆勢力が李承晩大統領を独裁者だと非難するのは単純にナンセンスだ。
まず、「4.19義挙」は、「3.15不正選挙」に対する抗議であって、大韓民国の自由民主主義を否定したデモではなかった。それだけでなく、「4.19」によって誕生した「第2共和国」も、李承晩大統領によって基礎が創られた自由民主主義に土台を置いた政権だ。したがって、「4.19義挙」は韓国の自由民主主義に土台を置いて不正選挙を糾弾したのみであって、韓国の自由民主主義を否定したものではない。この点は「5.16クーデター」に対しても同様に言える。
ところで、解放以後建国まで3年もかかったと言うが、当時の韓国の事情は国民の意識レベルや経済的条件などが完全な自由民主主義が定着するには不利な条件だった。このような状況で自由民主主義制度が定着するためには、自由民主主義に対する信念が強い指導者が、一定期間、例えば10年ほど長期執権をやる必要があった。特に、北の共産主義者らが武力で侵略し、韓国の親北左翼反逆勢力が尚共産革命を企んだ当時としては、強力なリーダーシップが自由民主主義制度が定着するためには必須だった。
のみならず、当時韓国の政治的指導者たちは、いつも北韓と合作するかアメリカの要求に順応する、柔弱で自由民主主義に対する透徹した信念がなかった。そういう状況で、自由民主主義を護るためには李承晩大統領が十字架を背負うしか他の方法がなかった。例えば、「6.25動乱」中釜山での「釜山政治波動」は、戦争状況を統一成就への機会として認識し、これを積極的に推進する政治的指導者を周辺から全く見出せなかった李承晩大統領が、自らが十字架を背負わねばならないという決心から下された政治的決断だった。したがって、李承晩の独裁は事実上自由民主体制を強固にして、祖国統一を成就するための歴史的使命感を反映したものだ。したがって、李承晩大統領を単純に独裁者だと非難するのは、当時の政治的状況を考慮しない悔しい汚名・不名誉である。
われわれは、建国大統領の李承晩博士の134回生誕記念日に際して、彼の生涯と業績に対して再評価しなければならない。李承晩博士がいなかったら大韓民国もなかった。李承晩博士がいなかったら自由民主主義もなかった。したがって、彼の誤りは彼の功労と対比されて評価されねばならない。たとえ、李承晩大統領が過ちを犯したことがあったとしても、それはその目的に照らして評価されるべきであり、また彼の功労と比較して評価されねばならない。
総合的に判断する時、建国大統領の李承晩博士は、韓民族が排出した唯一の英雄だ。彼は当時の政治・経済的すべての側面から不可能だと考えられた自由大韓民国を建国した。彼でなかったら、大韓民国はなかったし、特に自由民主主義はなかった。したがって、われわれの英雄李承晩博士を単純に独裁者だと罵倒するのは、北の共産主義者らと韓国の親北左翼反逆勢力に同調し、「4.19世代」と「5.16勢力」の誤った歴史観を反映することだけであって、真実ではない。
李承晩博士の134周年生誕日に際して、李承晩博士に対する再評価があって当然で、彼の存在価値を正当に評価しなければならない。