『大韓民国の物語・韓国の「国史」教科書を書き換えよ』

鈴木琢磨書評=今、日本にとどく 韓国保守知識人の「自国の歴史」への思い
日付: 2009年03月18日 00時00分

 おもしろいなあ。萎縮していた脳みそのシワがびよーんと伸びる。「大韓民国の物語」を読んでの、それが実感である。コチコチに凍っていた「韓国の歴史」がぽかぽか春の日差しに融けだしたような。初めての体験。
 著者の李榮薫さんはソウル大経済学部の教授。「朝鮮後期土地所有の基本構造と農民経営」で博士号をとっている。なにやら難しそうであるけれど、その文章に触れれば、この博士が専門バカでないことはすぐわかる。
 いったい、それがいかなるものかは知らないけれど、経歴には1977年から芝谷書堂で漢学5年課程を修了
とある。いいなあ。教養人である。それもとっびっきり上等の。
 知的でユーモラス、わが民族を愛しながらも決して溺れず、あくまで視野は広く、自らの言葉で、やわらかく歴史を語る、その手ダレ感は司馬遼太郎さんをほうふつさせる。司馬さんの歴史エッセーにどこか通じる。実際に本を手にとって、じっくり味わっていただきたいから、引用はほんのちょっとだけ。
 〈大韓民国は「歴史問題」で風邪をひいています。かからなくてもいい風邪に意味もなくかかっているのです。だから余計に体と心が痛いのかも知れません。風邪の原因は誤った歴史観です。歴史観は明るく健康なものにすれば、風邪はたちどころに治るでしょう〉
 すべてがここに集約されている。博士はかなり重症で、ほおっておけば肺炎になるやもしれない自国の「歴史問題」なる風邪を退治したい、その純粋な一念で、ドクターよろしく、患者に語りかける。その風邪は、たちが悪いせいか、玄界灘をこえて日本にも広がっているらしく、このたび、翻訳というかたちでドクターが往診にきてくれたのである。まことに慶賀にたえないことである。
 ついつい日本人としては遠慮がちに小声でしか言えなかった「事実」を、のびやかに堂々と開陳されてくださっているのは痛快である。たとえば、日本の植民地の「遺産」について。1960年代までは南よりも北が経済的に進んでいたといわれる。それは、彼ら平壌政府が宣伝するような社会主義の生産力のためではなく、北のエリアが植民地の物質的遺産が豊富だったから、と看破している。そして、そうした、ある意味メードイン・ジャパンの生産力への過信が金日成をして、朝鮮戦争へと突き進ませたのだ、とも論じる。
 それにしても、ようやく、との感を禁じえない。これほどの実力をそなえた韓国保守知識人の思いすら、日本ではほとんど知られていなかった。読まれることはなかった。隣人理解はまだまだである。最後に永島広紀さんの翻訳文のうまさを特記しておきたい。
 (すずき たくま 毎日新聞編集委員)


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