人間が人間(他人)に自分の咎を告白する義務はない!

「人間は自分を愛せねばならないため、他人にも自らの過ちを明かせと良心の告白を強いるこたはできません」(故金南洙主教)。
日付: 2009年02月22日 18時55分

趙甲済
この頃、言論や国会議員たちは、紙面と聴聞会を通じて、公職者に「あなたの過ちは貴方自身が最も知っているから告白せよ」と圧迫する。だが、いくら攻めても大部分の公職者は数時間後に明らかになる懸案に対してまで嘘をつく。人間は果たして自らの過ちを公開的に告白する義務があるのか? 前職大統領の全斗煥・盧泰愚が、秘資金事件や「5.18事件」で裁判を受けていた1996年初、月刊朝鮮が故金南洙主教(当時水原教区長)をインタビューした内容が思い出される。
 
金主教はこう話した。
「人間は人間に自身の過ちを明かす義務がありません。自分を保護する義務とは、『愛の秩序』から出るものです。人間は、神様を最も愛すべきであり、その次は自身です。人間は自身を愛せねばならないため、他人にも「自らの過ちを明かせ」と良心の告白を強いることはできません。だから、黙秘権があるではありませんか。もちろん自分の罪を神様には明かさねばなりません。人間社会でも神様の法でもいつも逃げる穴は作っておくものです。聖書をよく読めば、常に逃道があります。その線さえ越えれば捕えません。例えば、共同墓地では人を捕えられませんでした。それでローマの迫害時代に数多くの信者が地下の共同墓地に住みました。ローマ軍人も、その中にキリスト教徒がいるという事実が分かっても捕らえません。このような概念も消えた人間社会は、人間らしさを失っていく時代ではないか思います。われわれ宗教家の立場では、過ちを明かせという姿勢よりは、そういうことを神様に任せる姿勢を取らねばなりません。」
 
国ごと、公職者が公開すべきプライバシーの範囲が異なる。英国と米国は最も多くの公開を求める。言論は公人のお金の問題や異性関係までも報道する。フランス、日本などは、異性問題に対しは寛大な方だ。日本言論は酒に対しも寛容だ。最近、財務長官がG-7会議に参加して、酒に酔って記者会見をした時も報道しなかったのが日本の言論だった。外国言論が先に報道し、YOUTUBEで動画が広まってからはじめて報道し、長官は辞任した。韓国でも、政治家と公務員たちが記者と酒を飲みながらひどい言動をしたのが報道されて大変な苦労をした場合がたまにあった。1990年代の前には起きなかったはずの事件だ。
 
人間社会が無条件透明なら良いとは限らない。飛行機の安全だけを考えれば、すべての乗客が服を脱いで裸体で飛行機に乗るようにすれば良い。いくら公職者でもそのように裸体化するわけにはいかない。社会の安全と私生活の保護の間にどういう線をひくべきか? これはその社会の教養のレベルが決めるはずだ。寛容と厳格さをどう調和させるかということは、個人と国家の重要な悩みの種だ。他人に「良心の告白」を強いる人の良心は、誰が検証するのかも問題だ。
 
www.chogabje.com 2009-02-22 09:00

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