趙甲済
2009年1月19日の明け方、「龍山撤去民対策委」所属の30人余りがソウル中心の大路(漢江路)辺の5階建物を無断占拠した。彼らが不法占拠した建物に持ち込んだ武器は途轍もなかった。LPGガスボンベ4個、20リットルのシンナー60個、火炎瓶120ヶ余り、塩酸瓶100個、ゴルフボール6180個(回収されたもの)以上、斧一つ、パチンコ12個、先が三つ又になった槍4個、鉄パイプ50個。彼らは屋上に望楼と大型のパチンコ発射台(4個)を作り、火炎瓶100個以上、塩酸瓶40ヶ余り、レンガ1000個ほど、ゴルフボール300個、ビー玉400個余りを撃って投げた。乗用車やバスなどが道路に落ちた火炎瓶を避けながら走らねばならなかった。
火炎瓶を隣の建物に投げて店舗など4ヶ所で火事が起きた。警察は何度も警告放送をしたが暴徒らは頑として受付けなかった。警察は関連者(区庁、再開発組合、施工社、全撤連中央会および龍山4区域商工撤対委など6者会談)間の対話を斡旋したが、区庁が面談を拒否し、籠城者なども先に警察兵力の撤収を要求して拒否した。
警察は、自主解散を誘導するため全撤連中央会の幹部(イム・テスン対外協力局長)を相手に説得したが拒否されて、解散しないと鎮圧に出ると通告した。警察は、現場にシンナー、火炎瓶、塩酸瓶など危険物質が多いので、警察が保有したすべての放水車を動員する一方、消防当局にも支援を要請して合同で備えた。建物の周りに安全マットを設置し、消火器を最大限準備するなど各種安全装備を現場に配置して事故が発生しないように努力した。
警察が夜明けに作戦を始めたのは、出勤時間が始まれば交通渋滞はもちろん、一般市民らの安全に深刻な威嚇も予想され、明け方の時間帯は籠城者たちが疲れた心身で相対的に抵抗が弱まるという点を勘案した。警察は特攻隊投入直前にも18回にかけて自らの解散を促す警告放送をした。
警察は、無断占拠から25時間経って特攻隊を投入し鎮圧作戦に出た。建物の屋上に水を撒いて警察特攻隊が入るや、望楼にいた示威隊はシンナーを撒いて火炎瓶を投げながら抵抗した(警察庁発表)。望楼で発生した火災の原因は彼らが撒いたシンナーによるものと推定された。警察は集中的な放水で火を消そうとした。特攻隊員の6人は火傷をして撤収した。火を消して望楼を捜索したところ警察官1人と示威隊5人が屍身で発見された。籠城者6人と警察官20人が怪我をした。警察官21人が死傷し、籠城者11人が死傷した事件だ。
連行された籠城者28人の中で借家人は8人のみと確認された。残りはソウルの冠岳区、京畿道や仁川地域の居住者など外部勢力と把握された。死亡した籠城者5人の中で龍山(再開発地の)借家人は2人、外部勢力が3人だ。連行された借家人6人は、全国撤去民連合会の「商工撤対委」所属と把握された。
これが早期鎮圧であり過剰鎮圧なのか? あらゆる暴力事態において初動鎮圧が最も効果的で被害も小さい。籠城者たちが投げた火炎瓶で四ヶ所で火事が起きた後、特攻隊を投入した。これがどうして早期鎮圧か? 火炎瓶でバスが燃えて数十人が死傷したら、のろまな鎮圧をしたと批判したはずの人々が暢気な論評をする。
警察特攻隊が警告射撃をしながら突入したら却って犠牲者が少なかっただろう。戦車キラーである火炎瓶などで武装した暴徒らに向かって、ほとんど素手で突入した特攻隊が過剰鎮圧だったとすれば、仁川上陸作戦も過剰鎮圧になる。この事件で国民と警察は被害者であり、籠城者たちは加害者だ。それなのに、どうして金碩基警察庁長内定者が辞めるべきなのか? 政治家と公職者は、雰囲気や世論でなく事実と論理を根拠に話さなければならない。15万警察兵力を指揮する警察庁長は、法秩序確立の戦線司令官だ。犯法者たちと戦闘中の指揮官を話にもならない理由で切ろうとする人々は、よく戦う李舜臣を計略で捕えて拷問し、投獄した朝鮮朝の情けない朝廷よりも悪い。