北朝鮮の工作員として韓国に送り込まれた男、キム・ギヨンが、突然帰還を命じられる。帰還まで残された猶予は18時間あまり。本書はギヨンと彼の家族、そして周囲の人間の動きを、米国のテレビドラマ「24」のように、時間の経過で区切りながら描いている。
物語はスピード感に溢れている。1960年代に平壌で生まれ、80年代に韓国に渡ったギヨン。彼が最後に指令を受けたのは10年も前のことだった。平凡な中年韓国人としての生活に慣れはじめていたギヨンが、韓国での20年間を捨てて北に戻るか否かの選択を迫られる。
それは、3つの国―北朝鮮、80年代の韓国、現代の韓国―で起きた出来事をギヨン自身が整理・総括していくことでもある。
回想シーンごとに物語は「3つの国」を行き来する。著者の筆力もさることながら、その時代や体制について著者なりの評価が確固としてあるため、「3つの国」の違いは際立ち、場面の転換がよりダイナミックに感じられる。
人物の配置と描写も巧みだ。ギヨンの妻と娘は、ギヨンと別の行動をとるが、最終的に1日を終えた彼ら(ギヨンを追う情報部員も含め)に起きた変化が意味するところこそ、著者が伝えたかったことだろう。
人間には誰でも、自らを存立せしめ、あるいは精神を安定させるため、各人が自己防衛的に作り上げた皮膜のようなものに覆われている。訳者の宋美沙が言うように、「与えられた役」とも言い換えられる。
著者は本書の終盤でそのデリケートな皮膜を破り、登場人物の本性を読者の前にさらけ出す。人は誰しも何らかの「役」を自らに課しているが、それはいとも簡単に崩れ去るものだということを、本書は鋭く指摘している。(溝口恭平)