当初、祥一は、伊吹も河野屋しか利用しないのかと思った。岡田が河野屋しか利用していないからである。岡田にくらべるとずっと貧相な身なりをしているだけに、伊吹は岡田以上に河野屋がふさわしいように思われたのだ。
ところが、引越してきて一週間ばかりすぎた夕方、祥一が玄関を出ようとしたとき、ちょうど玄関脇の伊吹の部屋のドアが開いた。
「お出かけですか」
と伊吹がきいた。
「食事に行こうと思ってね」
祥一が靴を履きながらいうと、伊吹は、
「俺も行こうかな。ちょっと待ってて下さい」
そういって、階段横に二室並んでいる右側のトイレで小便をし、例のごとくゴム草履をつっかけて祥一についてきた。さすがに学生服はもう脱いでいて、白いYシャツ姿である。ただアイロンの跡がなく、Yシャツはよれよれだった。
不愛想な伊吹だが、自分に妙に関心を抱いている気配が祥一には感じられた。自分が文学に関心を持っているせいだろうか、それとも朝鮮人だからだろうか。
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最初の日、三人で河野屋で昼食を食べながら話していたとき、
「金さんは朝鮮人ですか」
と伊吹はずばりときいた。
「そうです」
「北ですか、南ですか」
「南です」
「珍しいなあ」
どういう意味かと思って、
「何が珍しいんです」
ときき返すと、
「俺の知っている朝鮮人は、みんな北系なんですよ。みんなといっても、知っている朝鮮人は三人だけだけど」
二人は大学での知り合いで、一人は高校時代の同級生だという。そして大学での知り合いのうち、一人はこの三月に卒業したのち、四月に北朝鮮に帰国したという。在日朝鮮人の新潟港から北朝鮮への帰還事業が、去年の十二月からはじまっていた。
「朝鮮人ですか」と伊吹がずばりといったのが、祥一の心に引っかかった。そして、引っかかるものを感じている自分を祥一は不思議に思った。ずばりとそうきかれたのがはじめてだったせいだろうか。いつもは「朝鮮の人ですか」とか、「朝鮮の方ですか」とかいったいい方できかれていた。一見丁寧なそのきき方は、結局は蔑視感の裏返しの表現にすぎない、と祥一は思っていたが、「朝鮮人ですか」とずばりときかれると、また別の意味で引っかかるものを感ずるのだった。
祥一は自分に矛盾を感じた。「朝鮮人」という言葉も、祥一には、蔑視を含んだ「チョーセン人」にきこえるのである。子供の頃、悪童どもにしょっちゅう「チョーセン人!」と囃(はや)し立てられた記憶が、いまも尾を引いているせいかも知れない。
「朝鮮人」という言葉には、一種独特の厭(いや)な響きが祥一には感じられる。実家では、父母たちはよく、「チョスンサラム(朝鮮人)」「ハングクサラム(韓国人)」と韓国語でいうが、そういういい方には抵抗感はない。植民地時代の日本による朝鮮人愚民化政策が、「朝鮮人」という言葉に厭な響きをこもらせたのだろうか。
実家が韓国系だけに、祥一は普通は自分のことを「韓国人」といっているが、その言葉は「朝鮮人」にくらべると、厭な響きははるかに少ない。しかし、韓国人も朝鮮人には違いないのである。「朝鮮人」という言葉に引っかかるものをおぼえている自分に、祥一は、<朝鮮人から韓国人に逃げている>自分を感じた。
第3197号 1984年7月10日(火曜日) 4面掲載