趙甲済ドットコム
<規制は、国家や公務員が国民の一人一人よりいつも優れた判断ができる、という前提を土台にしている。国家や公務員が、すべてのことを私の代わりに判断してくれるというのは言語道断だ。私自身に何が必要なのかを最もよく判断できる人はまさに私自身ではないか? 半導体工場の真中に、何の役にも立たない豆畑を維持しなければならない「規制のコメディー」は、もう止めなければならない。「どこでは何をするな」という式で、前を進む人を引き下ろすのは自由民主主義の原理とは遠い発想だ。「お隣りが良い暮らしをするため私が貧しいのだ」、「金持ちのものを奪い分けてあげれば(皆が)良い暮らしができる」という共産主義式の論理と何が違うのか?
自由民主主義の主役は、政府でなく企業だ。政府は、企業が最大に創造力を発揮できるように支援すれば良い。青年李承晩は、獄中で執筆した「独立精神」の中で、「自由を尊重することは国を建てる根本だ」と力説した。大韓民国が中国やロシア、そして日本に比べて比較優位を持てる分野がまさに自由である。>
<原始社会と文明社会を別ける基準は、暴治と法治だ。狂牛病に対する憂慮から、米国産牛肉の輸入反対のデモをやるのはあり得る。だが、国民の直接選挙を通じて公正に圧倒的な多数得票により選出されたばかりの大統領を辞めろと言い、ソウルの真中を100日以上無法天下にした不法示威隊にたじろぐのがわが国の現実だ。婦女子を21人も強姦して連鎖殺人し遺体をばらばらにした反人倫的凶悪犯の死刑囚を、3年経っても刑の執行ができないのがあたかも人道主義のように美化されている。法を侮り、いくら凶悪なことをやっても処罰しないのは、人権を装ったポピュリズムであり、国家の職務の遺棄だ。如何なる企業もこのような国には投資しない。>
ロナルド・レーガンの自由論を連想させるこの文は、金文洙京畿道知事が書いた本-「私は自由を夢見る。規制監獄の京畿道で」(ギョンドク出版社)に載っている。「規制の撤廃による富国論」を主張する金文洙知事が、「趙甲済の現代史講座」の招請で来る12月1日の午後2時、ソウル忠正路の文化日報ビルディング(江北三星病院の向かい側)の講堂で、規制撤廃を主題にした講演会を開く。趙甲済ドットコムでは参席者に、「左偏向の歴史教科書を訂正する国民教材」である「偽りと歪曲」を贈呈する。