全斗煥、スターリン、張成沢

権力者が事故(退場)事態になった時は、(後継者候補は)どこにいるのかが重要だ
日付: 2008年11月12日 01時00分

趙甲済
ソ連を建てたボルシェビキ革命の指導者だったウラジーミル・レーニンは、1922年5月、脳卒中で倒れた。彼は病床で妻に遺言を口述させた。この遺言の中で、レーニンはソ連共産党中央委員会のスターリン書記長が権力を乱用しているとし、同志らが彼を除去するべきだと書いた。1922年12月に脳卒中が再発し、翌年の3月に三発してひどい言語障害に陥った。彼が死亡したのは1924年の1月だった。この時、スターリンは書記長のポストを利用して事実上党権を掌握し、競争者のトロツキーを疎外させることに成功した。脳卒中がなかったらレーニンがスターリンを除去し、トロツキーを後継者に立てた可能性がある。レーニンが死ぬや英国のウィンストン・チャーチルは、「ロシアの最も大きな不運はレーニンの誕生で、2番目の不運は彼の死だ。彼だけがどん底に落ちたロシアを救援することができた」と評した。
 
糖尿病と高血圧があり、1年余り前に心臓動脈の拡張手術を受けた金正日が、去る8月に脳卒中を起こした直後、アメリカの情報機関のある幹部は、「遠からず(脳卒中)再発の消息を聞くことになるかもしれない」と予測した。先月末に再発があったという話が聞こえる。北朝鮮が最近公開した金正日の活動写真は、全てが操作されたか、最近取った写真でないことが確認された。
 
スターリンがレーニンの後継者になれたのは、レーニンが脳卒中を起こした時、ちょうど中央委員会の書記長だったためだ。その職責が与える権限がなかったら、実権を握ることができなかったはずだ。1979年10月26日、朴正大統領が情報部長によって殺害され、権力に空白ができた時、全斗煥少将は、ちょうど国軍保安司令官だった。戒厳令の下、彼は情報部、警察、検察を指揮する合同捜査本部長を兼ねることになり、二ヶ月も経たない内に戒厳司令官の鄭昇和将軍を除去し、軍の実権を取った後、翌年第5共和国を開いた。陸士出身の将校団の中に自分を追従する人脈を深く植えておいた全将軍だったが、国軍保安司令官の職に就いていなかったら政権の掌握は難しかったはずだ。
 
いま、平壌政権の中で、スターリンや全斗煥のような位置にいる人は労働党行政部長の張成沢だ。行政部長は、国家安全保衛部(韓国の情報部に該当)、人民保安省(警察)、検察、中央裁判所など公安機関を管轄する要職だ。彼は金正日の妹の夫でもある。金正日が信じて使う人だ。軍部の中にも人脈が厚い彼は、労働党の上層部内でも評判が悪くないほうだ。11年前韓国へ脱出した労働党前秘書の黄長燁氏は、数年前から「金正日が有故状態になれば張成沢が実権を握るだろう」と予測してきた。最近韓国の北朝鮮専門家たちも、「張が失権を行使する兆しが見える」と言う。張が最近労働党組織部の第1部部長(部長は金正日)に移り、軍まで管轄するという諜報もある。これが事実なら、まだ話すことができる金正日が、張成に相当部分の業務を委任したということだ。
 
金正日が、「有故」(退場)状態に入ると、これは北朝鮮で遂に偶像が消えることを意味する。共産体制の改革は、指揮部が自ら誤りを認めない限り始められない。フルシチョフとゴルバチョフ、そして鄧小平の改革は、スターリンや毛沢東を批判した後に可能だった。金正日の「有故」状態は、北朝鮮を60余年間抑圧した偶像から党や人民が脱出できる道を開くだろう。
 
では、張成が指導することになるかも知れない「ポスト金正日体制」が、鄧小平式の改革開放路線を取るだろうか? 北朝鮮式鄧小平路線は、冒険路線を放棄し、実用路線に転換するという意味だ。つまり、「核」や「革命路線」を諦め、経済中心の路線を選択するということだ。「核」と革命路線をあきらめた北朝鮮は、巨大な韓国の前で真裸の存在になるだろうし、北朝鮮がドアを開ければ韓国の経済的影響力が北へ展開して事実上の植民地にするだろう。こういう事態を予見しているはずの北朝鮮指導部の選択は何だろうか?
 
もう一つの疑問点は、北朝鮮が自らを改革できる余力があるのかだ。改革のマインドを持った人材集団は存在しない。生産設備や社会間接資本も足りない。火種がないのに火を起こせるのか? それでも金正日以後の北朝鮮指導部が改革開放しか生きる方法がないと判断する時はその道へ進むだろう。その道が北朝鮮体制の「平和的解体」や「南韓化」に辿り着く道なら幸いだ。その道が、北朝鮮の「中国の植民地化」や「分断の固着」へ行くなら今から注意する必要がある。中国は、金正日以後の北朝鮮が、韓国式で自由化されるか混乱が起きた時、北韓地域に米軍が展開する状況を、(自国の)国内統合に威嚇になると判断し、絶対許すまいとするだろう。
 
突破口を作るのはやはり北朝鮮内部の変化だ。北朝鮮の人々が韓国の同族と手を握るという民族自決主義的な決断をする時、止められる者は誰もいない。1990年に東独人が決断したように、北朝鮮の人々も「われわれが生きる道は、韓国と統合することのだ」と決心するようにするためには、北朝鮮の人々の心を取らねばならない。ビラと食べ物を運ぶ風船を北朝鮮へ飛ばすのは色々な方法の中の一つである。
 
www.chogabje.com 2008-11-11 17:34

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