翌日の午前、祥一は、川瀬が勤めている駅の近くのスーパーに行った。
「あたしも行くよ」
と母もついてきた。
三月なかばすぎとはいえ、風はまだまだ冷たかった。それに、空気が乾いている。コートを着ていても冷気が身にしみた。
純子が出奔したことは、前夜、店から帰ってきた父に報告したが、父は、勝手にしやがれ、といった表情で何もいわなかった。純子の行き先について、心配しているのか、いないのか、父の顔からはわからなかった。たとえ内心心配しているとしても、出奔の原因が自分にある以上、父としてはその表情を顔に出すなどは、いまさらできもしないのだろう。
スーパーのレジに立っていた女子店員に、
「川瀬さんはいますか」
ときいた。
「川瀬功さんですか」
と女子店員はいった。
「そうです」
「おりまずけれど」
女子店員はいった。とすると、川瀬は純子と一緒に駆け落ちしたわけではないようだ。
「ちょっと呼んで貰えませんか。大事な用事があるもんですから」
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祥一がいうと、女子店員は祥一の脇に立っている母のほうにちらっと目をやり、
「少しお待ちください」
と奥の方へ行った。
奥の突きあたりの部屋から、川瀬は女子店員に伴われてすぐに出てきた。
「私、川瀬ですが」
川瀬は祥一と母を見ながらいった。紺のスーツに白いワイシャツを身につけ、背広よりは少し淡い色の紺のネクタイを締めている。角張った顔をしていて、濃い髪が丁寧に整髪されている。
「ぼく、森本純子の兄です。こちら母です」
祥一がいうと、川瀬はにわかに相好を崩し、
「ああ、純子さんのお兄さんですか。お噂はよくうかがっています」
川瀬の表情に、祥一は何かアテが外れたような気がした。こちらが純子の身内と知ったら、川瀬は緊張するのではないかと、思っていた。川瀬の様子からすると、どうやら彼は純子の出奔を知らないでいるようである。
レジの女子店員にきかれぬよう、祥一は川瀬を店の隅の方に導いて行き、
「じつは、純子が、ゆうべ家を出たきりなんです」
そういうと、川瀬は、
「えっ」
とぴっくりしたような目で祥一を見返した。
「どういうことなんですか」
「家出したらしいんです」
「家出?」
川瀬はさらにびっくりしたような顔になって、
「どうしてですか。何かあったんですか」
といった。川瀬の様子からして、純子は川瀬としめし合せて家を出たのではないらしかった。「とにかく、あなたにうかがいたいことがあるんです。できたら、ちょっと時間をさいて貰えませんか」
「ええ、三十分ぐらいでしたら」
川瀬は腕時計を見ながらいった。そしてあたりを見回し、
「ここでは何ですから、近くの喫茶店に行きましょうか」
川瀬はいって、レジの女子店員に何やら声をかけた。
第3191号 1984年6月30日(土曜日) 6面掲載