忘れられた人々 -在樺太同胞の帰還実現を 4

日本“戦後処理”の一環 一刻の猶予もならぬ
日付: 2008年08月26日 00時00分

 第2次大戦終結前、4万3千人の在樺太同胞のうち、公式に帰還が確認されているのは日本人妻をもつ同胞474世帯(2千2百人)と、自費で帰還した数人だけである。現在でも4万人を越す在樺太同胞のうち、7千人にもおよぶ人々がいまなお切実に帰還を希望している。10月初旬に予定されている日ソ首脳会談を前に、在樺太韓国人の帰還実現に努力してきた人たちは、日本当局への働きかけを強めてきたが、20日二階堂官房長官が、樺太抑留韓国同胞問題研究所所長・若狭敬吉氏、民社党の田淵参議院議員との会談の席上、日ソ首脳会談で在樺太韓国人の帰還問題について話し合う。そのための勉強会もすでに終了した、と言明したことによって、事態は新たな局面を迎えた、といえるだろう。

韓・日・ソの谷間で解決遅れる

 1971年7月10日、樺太から引き揚げてきた韓国の老人-孫致奎さん(当時71歳)が横浜港についた。孫さんの帰還は、日本人妻を迎えていたため一足先きに帰国を許された。長男の鍾運さんと「樺太抑留帰還韓国人会」の人々が日本外務省などに働きかけ、ようやぐ実現したもの。韓国人だけの帰還が許されたのは、これが初めてのケースであった。
71年7月10日、樺太から33年ぶりに引き揚げてきた孫致奎氏(当時71歳、現在釜山に)横浜港で。

 その後、今年の2月2日、日本人妻をもつ洪萬吉さん(46歳)が樺太から横浜港に帰ってきた。
 「日ソ平和宣言」に基づく引き揚げ事業が、58年で終了して以来、樺太から帰れた同胞はまれである。
 樺太から帰還するためには、ソ連当局、日本当局の許可のほかに出国税400ルーブル(約14万円)と旅費が必要である。しかし、在樺太同胞の帰国希望者は、50代から80代の高齢層が多く、日常生活上の条件にしても、ソ連籍「北」籍の同胞よりも悪いため、400ルーブル以上のお金をつくることは難しい、といわれている。孫さんの場合などは、まったく幸運であったというほかない。
 在樺太同胞の帰還意思を踏みにじってきたことに対する貢任は、日本、ソ運、そして韓国にともにあったといわざるをえない。ソ運当局は、在樺太同胞から直接的に帰還の意思を伝えられておりながら、つい最近まで、"無国籍"者はいないとか、帰還希望者はいないとかいった態度をとってきた。ソ連当局は、東西冷戦時代をはさんでいたにせよ、在樺太韓国人の意思を日本政府により正確かつ強力に伝えるべきであった。
 韓国政府はこの間、「原状回復」を原則に、日本政府に対し、帰還は日本の責任で行い、樺太帰還者の居住地については本人の意を尊重せよ、と再三にわたって働きかけてきたとはいうものの、韓国条約締結時に、この問題を避けて通るのではなく、挙論ずべきであったとのそしりはまぬがれない。
 しかし、究極的な責任は、日本政府にあるということは自明の理である。
 日本政府は、樺太引き揚げ事業において、われわれ同胞と日本人とを厳然と区別してきた。そして、1951年のサンフランシスコ条約の締結によって、在樺太同胞との法的つながりは一切なくなったとの態度をとってきた。
 そこから、帰還費用は本人あるいは韓国側負担、引き揚げ地は韓国、日本はたんなる経由地にすぎない、との態度をとってきた。これを、いい変えると、韓国とソ連とは国交がないから、韓国政府と在樺太韓国人が帰還を望むならば日本は経由地としての便宜を提供してやろう、ということにほかならない。そこには、自らが強制連行し、今日まで人為的に取り残してきた、ということに対する反省と人道的責任に対する自覚が欠落していた、といわざるをえない。

これ以上悪い方向には進まない?

 しかしその日本政府も20日、二階堂官房長官が日ソ首脳会談で在樺太韓国人の帰還問題を扱う旨明らかにしたことにより、態度変化の兆をみせはじめた。どのような内容が話し合われ、その場で日本側がどのような態度をとるかは、現在知るよしもないが、その成り行きに大きな関心が寄せられている。
 日本政府の態度に変化の兆が見えはじめた背景としては、まず第一にソ連側の態度の変化があげられる。
 ソ連当局は、最近、日本赤十字社幹部、日本・訪ソ議員団との接触の過程で、在樺太韓国人に正式な帰還要請をしてきたものはいない、としなからも、"無国籍"者のいることを認め、彼らが帰還を希望し、日本政府がビザを出すならば出向を許可する、との態度を表明した。ソ連は、正式に帰還希望を申し出ている同胞はいないといったが、"無国籍"は帰還を希望してるがゆえであり、"無国籍"者がいると認めたことはつまり、帰還希望者がいる、と認めたことにほかならない。
 これで、在樺太同胞の帰還実現の鍵は日本側に預けられることになった。日本としても、「ソ連では帰国希望者はいないといっているので………」といった、責任回避の姿勢はとれなくなったのである。
 ソ連のこのような態度変化は、中国と「北」との関係密接化に対応して、韓国とソ連とが接近しつつあることのあらわれではないかと見るむきもある。げんにソ連はソ連で開かれたユニバーシアード大会への韓国参加を承認して、注目された。また、韓国が国連に加盟すれば、ソ連は韓国を承認するとの観測も流れたことがある。
 一カ月前、樺太を訪問した若狭氏によれば、以前は「北」籍の同胞に対する「北」領事館員の政治工作が激しかったが、今回の訪問で得た印象としては、ソ連当局が「北」領事館員の政治活動を抑えている、と明らかにした。いずれにしても、韓国とソ連がお互いに意識し合っていることがわかる。そのようなことから、在樺太同胞の帰還問題は、これ以上悪い方向にむかうことはないようである。
 在樺太同胞の帰還問題は、韓・日・ソ間の複雑かつ高度な政治問題化していたが、ここになってようやく解決への条約がみい出されつつあるようだ。しかしまだ楽観は、許されない。いまはまず、日・ソ首脳会談の行方を注目しなければならない。(おわり)

1973年9月22日(土曜日) 3面掲載


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