とにかく、洋子は、卒業記念と大学合格祝いを兼ねて、恥じらいの色を顔に浮かべながら、自分に鬼胡桃をわざわざ贈ってくれたひとなのだ。その鬼胡桃を、いまも自分は毎日手にしている。
高校時代、彼女は自分の眼中になかった。しかし彼女の方ではひそかに自分を視ていたわけだ。自分を見守り、自分が指の皮をむしるのを心配してくれていたわけだ。けっしてただの女友達ではない。ボディーフレンドなどというものでもない。なのに自分は彼女に恋を感ずることができない。夢中になることができない。結果的に自分はただ彼女を弄(もてあそ)んでいるのではないか。しかし、不真面目な気持で彼女とつき合っているという意識も彼にはない。
この前逢ってからもう三週間以上になる。いつもは、週にいちどは西武池袋線の保谷にある洋子のアパートを訪れでいた。
祥一は、三週間前に、それまで下宿していた湯島新花町から西荻窪に引越してきた。引越し荷物の整理がたいへんだったせいもあるが、それにしても三週間以上も洋子に連絡しないのはながすぎる。荷物の整理は数日で終っているのである。
湯島新花町なら本郷の大学まで歩いて十五分ほどで行ける。家主が裁縫師をしている古びた家の二階座敷で、北向きの部屋のために滅多に陽が差さず、しかも狭い路地のすぐ向かいが結構高い石塀になっていて、至極陰気な部屋だったが、大学に歩いて行けるのが便利だった。しかし、留年を決め込んだ以上、大学の近くに住んでいても仕方がない。郊外の、もっと風景がひろびろとしているところに移ろう。そう考えて、大学の厚生課の下宿斡旋(あっせん)係に紹介して貰い、西荻窪に引越してきたのである。
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前方からバスが鈍い音を響かせながら近づいてきた。両側に電柱が立っているために、バス一台だけで道はほとんどふさがる。駅に近い商店街とはいえ、道幅はそれほどに狭かった。伊吹と祥一は電柱の陰に立ちどまり、バスの通りすぎるのを待った。
下宿のアパートから駅まで歩いて二十分ほどだった。歩くには少し遠いが、といってバスで行くには近すぎる。引越してきたばかりの頃、二、三度バスを利用したことがあったが、いまではいつも歩いて駅と下宿のあいだを往復していた。伊吹も同様だった。
バスが通りすぎると排気ガスの臭いが鼻を突いた。二人はまた歩き出した。伊吹は考えごとを続けているのか、相変わらず顔を少しうつ向けて黙り込んでいる。祥一も黙ったまま歩いた。
「君と結婚はできないよ」
いつだったか、祥一は洋子にいった。
洋子が結婚の相手としてふさわしくないというわけではない。日本人女性との結婚は、父母の反対が強く、不可能だと思ったのだ。親の反対を押し切って結婚したとしても、洋子を幸福にできるとは思えなかった。
敦賀で小鯛(こだい)やスズキなどの笹漬(ささづけ)の製造販売を職業にしている洋子の両親が、朝鮮人についてどう思っているかは知らない。ただ、祥一の両親、特に父は日本人との結婚は絶対に反対だった。父の泰映は強烈な民族主義者である。いいかえれば反日主義者である。祥一の妹純子が四カ月前に家出し、それきり行方不明になっているのはそのためである。
第3185号 1984年6月22日(金曜日) 4面掲載