4万人以上を数える在樺太同胞のうち、7千名以上もの同胞が帰還、あるいは、韓国にいる家族との再会を切実に希望しており、ひたすら苦難に耐え、その道の開かれるのを待っている。祖国解放後、38年の歳月が流れた現在もなお、祖国の南と北に、中国本土、ソ連本土と韓国に、そして樺太と韓国などに、わが民族の骨肉は引き裂かれたままである。わが民族は、南北対話の進展によって相互離散家族を再結合させるだけでなく、日帝時代の残滓を取り除き、自らが真に解放された民族たるためにも、在樺太同胞に祖国帰還の橋をつくってゆかねばならない。
「北方領土返還」だけが焦点か?
10月初旬に予定されている日・ソ首脳会談を前に、日本国会の衆院沖縄・北方問題特別委は18日「北方領土返還決議」を超党派的に満場一致で採択した。20日には、衆院本会議でも決議採択がなされるという。決議の内容は、次の通りである。
「北方領土の返還に関する件」=戦後四半世紀余にわたり、今なおわが国固有の領土である歯舞(ハボマイ)、色丹(シコタン)及び国後(クナシリ)、択捉(エトロフ)等の北方領土が返還されていないことは、日本国民にとって誠に遺憾なことである。よって政府はすみやかに北方領土問題の解決を図り、日ソ間の永続的平和の基礎を確立するよう努力すべきである。右決議する。
また日本政府当局筋によれば、日本政府は日・ソ首脳会談において「北方領土問題を最優先的に討議したい」としており、その要求が受け入れられなけれぱ、その他の討議には一切応じられない、との強い態度で臨む方針だといわれる。
このように、日本政府ばかりか与野党が一致して、北方領土返還を叫びながらも、かつての日本政府が強制連行して牛馬のように酷使し、解放後も置き去りにしてきた在樺太同胞の帰還実現問題につらいては、蚊のなくほとの声も聞こえてこない。日本言論界にしても日ソ首脳会談に焦点を合わせて、この問題を挙論するようなことはしていない。
わが民族は、日・ソ首脳会談に対する、日本側の関心事について疑義をはさむつもりはないし、わが民族と日本との、いわば「不幸な関係」をいたずらにクローズ・アップしたいわけでもない。
ただ、ソ連政府当局が、樺太の帰還希望韓国人の意思を尊重する用意のあることを表明している現在、日本政府がわが民族に対するいまひとつの負債を返済するにおいて、それを遅延させる口実はもはやないということと、在樺太同胞の帰還を納得のゆく形で実現しない限り、日本の道義が地におちるということを、あらためて強調したいだけである。
ソ連政府は帰還許可の意思表明
この5月、ソ運を訪問した日本赤十字社幹部に、ソ連赤十字社は「在樺太韓国人の意思を尊重して日本移住希望者には日本移住を許可し、韓国に帰りたいものには、日本経由で帰国させるよう協力する用意がある」ことを表明したという。また、日本超党派訪ソ議員団の一員として訪ソした、田淵哲也議員(民主社会党)が12日明らかにしたところによれば、ソ連当局者は「現在では出国申請を公式的に接受したことはない」としながらも、"無国籍(韓国籍)"者がいることを是認するとともに「日本政府が入国ビザを発行するならば、樺太の韓国人をいつでも出国させる用意がある」と語った「出国申請を正式に接受したことはない」といっているが、在樺太同胞からは次のような手紙が寄せられている。
「私たちは年に数回、ソ連の上層部へ帰還陳情や、督促をしております。ソ連政府がいうことには日本政府から『引き揚げてください』という通知がないのに、あなたたちをどこへ持っていって捨てようか、海にでも投げようか・・・・・・韓国政府へのあんたたちの運動が足りないんじゃないかというんです。
韓国政府を通して日本政府を動かす力が弱いとしきりにいうんです」(1972年11月、樺太・大泊の金泳培さんより、東京・三鷹の辛昌圭さんにあてた手紙)。
病人、高齢者が多い在樺太同胞
一方、韓国政府は、日本政府に対して「帰還は日本の責任で行うのが道義であり、それにはいったん日本に上陸させ、本人の意思によって韓国に帰りたいものは韓国が引き受け、日本に居住したいものには居住権を与え」るよう、再三にわたって働きかけてきたといわれる。ところが日本政府は、「この問題を遊げているわけではない。以前ソ連に問い合わせたときは、帰還希望者はないという返事。ソ連赤十字の(5月の)見解も公式に確認されたわけではない。帰還が実現したとしても、日本永住を希望したい場合など、問題が多い」としている。
そこから日本政府は、在樺太同胞を「全員韓国に引き揚げさせ、費用は韓国側が負担すべきだ」(昨年7月の田中首相国会答弁)との態度をとりつづけているわけである。
日本政府が、樺太帰還韓国人が韓国に帰るならばともかく、日本に永住を希望したときのことを恐れており、クサイものにフタをしようとしていることがわかる。
在樺太同胞のうち、帰国をもっとも切望している人たちは、50~80代の人々で、すでに人生のフチにたっているのである。日本政府の態度をみていると、「日本政府は、在樺太韓国人の帰国希望者が高齢であることをよいことに、死に絶えるのをまつつもりなのか」といった憤りが湧き起こってくるのもやむをえない。
げんに、「樺太抑留帰還韓国人会」の朴会長によれば、「この運動に期待をもっていた現地(樺太)の人で、待ち切れずに『本国へ密航を企てて、何人もの人たちが『行方不明』になっていて、どこでどうしているかわからなくなっている。残留者には、病人や高齢者が多く、みな(帰国を)あせっている」のだという。
「私の生涯で、お前たち息子との再会を約束することはできないが、息子たちよ、この老いぼれの父を忘れないでおくれ。そして父と一緒にいる数多くの同胞のことも、お願いだよ息子たち。ただ空手傍観しないでおくれ。一人一人誠意と、努力と、誠心をこめて、私たちを助けようという心を世の中に充満させておくれ。それだけがこの老いぼれの生きるささえなんだよ」(1972年9月、樺太豊原市の父・安次景より、釜山の息子にあてた手紙)。
この手紙を、わが同胞であるならば、誰が涙せずして読めようか。そして、フィリピン・ルパング島の元日本兵・小野田少尉救出のため、1億円の費用をかけ、延べ1万8千人の人員を動員したといわれる日本政府にしても、横井氏のグアム島からの帰還を英雄的に迎えた日本世論にしても、それが真心から出たものであるならば、わが在樺太同胞の心中も充分に理解できるはずである。
第598号 1973隼9月20日(木曜日)3麺掲載
(写真)「樺太抑留帰還韓国人会」には、樺太、中国本土、ソ連本土の同胞から、望郷の手紙が連日送られてくる。