[柳根一コラム]教育部の編修チームを交替せよ!

「自虐史観」を正す「誇りの史観」が必要
日付: 2008年08月20日 00時00分

新しい検認定指針を作って近現代史教科書を書き直さねば

建国60周年を前後した今日のわが青年学生たちの自画像を二つ目撃することができた。まず、一つの自画像―「世の中に向けての理性の声バイト」という大学生のウェブ・マガジンが実施したアンケート調査の結果がそれだ。

調査対象の大学生の52.6%が、「8.15」を光復節である同時に建国節として記念すべきだと答えた。そして64.4%が大韓民国60年の経済発展はすごいものだと答えた。そうしながらも、70%が大韓民国の建国を「米軍政による不完全な建国」、「韓国だけの単独政権で分断が固着された契機だ」として否定的な見解を示した。大韓民国の60年を成功した歴史と看做し、それを当然記念すべきだといいながらも「建国=単独政権=分断固着」と蔑む矛盾―これをある学者は、「間違った歴史教育のせい」と解説した。

分断は、大韓民国建国のはるか以前に、北朝鮮地域に樹立された「人民委員会」、共産党の1党独裁、金日成の1人独裁、自由民主主義者・民族主義者・民族共産主義者の粛清によってすでに元に戻せなく固着された。共産主義や人民民主主義権力の「無慈悲な革命」が強制されたこと自体がまさに「分断固着」でなく何なのか? 自由民主の世の中を望む人々としては、そのような血の殺戮の前で、お手上げで死んであげるわけにはいかなかった。それで半分のみでも自由民主主義の橋頭堡を確保しようとしたのが大韓民国の建国だった。これが何が、どこが誤ったのか?

そうかと思えば、また違う若さの自画像も見ることができた。「8.15建国60周年」を記念するために大韓民国のほうの若者たちのオンライン・コミュニティの「ノノデモ」会員たちが、清渓川広場に集まった。加入者3万5000人を突破した「ノノデモ」会員たちを代表して「ロウソク反対1人示威者」の李世珍学生ともう一人の学生の郭・ミンホ君が「挨拶の言葉」を朗読した。

彼らの「挨拶の言葉」は、大韓民国60年史に対して持っていた「誤解」と「自虐史観」に対する痛烈な自己反省だった。「独裁」と「不正」だけが大韓民国の60年、特に李承晩大統領に対して自分たちが知っていた全てだったと自責した。そして、彼らは、金日成の建国は民族抹殺の開始であったし、李承晩の建国は民族繁栄の開始だったと宣言した。

「大韓民国の建国がなかったら、今のわが国がどんな国家だったでしょうか?」、「自由と解放のない世界最悪の人権じゅうりんの国家である北朝鮮をわれわれは考えて見ます」。彼らは叫び続けた。「私たちはそのまま(ただで)譲って頂いたので、私たちが享受する幸福も全然知らずに生きてきました。しかし、今回のロウソク暴動を見て、自由民主主義は、体で、手で、良心で戦って護らなければならないということが分かりました。」

大韓民国のほうで眺める時、「建国=分断固着の契機」と見る若者たちは、間違った歴史教育によって半分ぐらい催眠にかけられている状態だ。反面、「ノノデモ」学生たちはそこから自ら体験を通じて目覚めた状態だ。それなら、大韓民国のほうの既成世代がやるべき仕事は自明だ。一部の若者たちの「自虐史観」を解毒させる「矜持の史観」を教えなければならない。そうするためには、反(非)大韓民国の歴史教科書を代替する親大韓民国の検認定教科書を広く普及しなければならない。

このためには、今の教育部の教科書編修担当チームを大幅すげ替えなければならない。今のチームは、盧武鉉時代のチームのそのままだ。彼らをおいては何もできない。教育評価院をもって新しい検認定教科書の正しい指針を作るようにするのも必須だ。彼らが「良い指針」を作って、「良い執筆者ら」が「良い教科書」を出版し、「良い編修チーム」が「検認定」をしなければならない。ここには少なくとも2年が必要だ。だから、李明博政府は来年の「第8次教育過程」に決定を延期しなければならない。その間は、現行教科書を校訂して使うようにしなければならない。

大韓民国の陣営は、「放送奪還」闘争に続き「教科書奪還」の闘争に突入しなければならない。「ロウソク」におじけづいた李明博政府が、「歴史奪還」を決行するしかないように。

朝鮮日報、朝鮮ドットコム www.chosun.com 2008.08.18 23:12

柳根一(言論人)


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