はじめて“党史”を公刊
昨年春、「北」は『朝鮮労働党略史』(朝鮮労働党出版社・79年3月1日発行)を出した。日本では、朝総連傘下の「九月書房」が79年11月31日付で、それを復刻・出版した。これは、「北」ではじめて公刊されたいわゆる“党史”である。
これまでも、「北」に党史らしきものが全くなかったわけではない。正式に党史とは銘打たなかったものの、それに準ずるものが公開的にあるいは非公開的に刊行されたことがある。そのほか民族解放闘争史の形でまとめられたものも、決して多くはないが出されている。そのうちの主なものをあげると次の通りである。
《党史関係〉
①「政治学校用参考資料』―「朝鮮労働党」が幹部党員用に、55年に刊行したもので、発行は「朝鮮労働党出版社」。日本では56年に朝総連傘下の「学友書房」が復刻・出版した。
②『朝鮮労働党闘争史』―61年9月9日、朝総連中央宣伝部発行。「北」の指示で朝総連内「朝鮮労働党」秘密組織である「学習組」員の一部に、ナンバーをつけて配布、回収した。
③『朝鮮労働党歴史教材』―64年8月8日、「朝鮮労働党出版社」発行。党史編さんを試みる準備の一環として出されたもので、党中央委員会直属党歴史研究所が著したもの。
≪近代史・現代史関係≫
①『朝鮮民族解放闘争史』―49年10月、「朝鮮歴史編さん委員会」編集・発行。「8・15解放」後、金日成大学で特殊講義したものをまとめたもの。解放後「北」ではじめて出された民族解放闘争史といわれる。
日本では「3・1書房」が52年9月に翻訳・出版している。
②『朝鮮民族解放闘争史』―58年9月、「朝鮮労働党出版社」発行。李羅英著。日本では「学友書房」が59年10月20日に翻訳・出版。刊行後しばらく後に批判され、回収騒ぎをひき起こした。
③『朝鮮近代革命運動史』―61年8月30日、「科学院出版社」発行。編著「朝鮮民主主義人民共和国科学院歴史研究所近世および最近世史研究室」。日本語訳は新日本出版社から64年8月5日に出ており、訳者は「在日本朝鮮科学者協会弦会科学部門歴史部会」。
“客観性”のある叙述も
ところでこれらのいずれもが党史あるいは近代・現代史として不十分であることは、「北」も認めている。そして、そうであるがゆえに、長年の工夫を積み重ね、こんどの『略史』を出しにものとみられる。
だが、結論から先にいうと、これは党史としてふさわしい内容を備えていない。ばかりか、それにふさわしい叙述の方法もとっていない。
55年に発行された『政治学校用の学習教材』は、南労党の粛清に次ぎ、延安系を党から追放しつつあった時期に刊行されたものであり、当然のこととして金日成の個人崇拝、偶像化に一定の役割を果たしている。49年の『朝鮮民族解放闘争史』、は延安の「独立同盟」、「朝鮮義勇軍」に言及しているが、この「教材」は、それを削除している。それでもまだ金日成部隊の闘争はその後一連の刊行物にみられるように過度に誇張されてはいない。その点で、この2つの刊行物は留保条件つきながらも“客観性”をある程度帯びていたといえよう。
このような限定つきの“客観性”も、50年代末以後に発行された李羅英著の「朝鮮民族解放闘争史』はじめ、「北」科学院発行の『朝鮮近代革命運動史』、朝総連中央宣伝部刊行の『朝鮮労働党闘争史』、「朝鮮労働党」の中央直属歴史研究所が著した『朝鮮労働党歴史教材』では完全になくなっていった。これらのものの発表とともに、「北」では金日成への崇拝・偶像化が神格化へと押し上げられてゆき、叙述の内容、方法も以前とは比べられない程大きくかわっていったのである。
たとえば、「8・15解放」以前の抗日独立闘争が、全くといっていいほど金日成中心に改変された。「朝鮮共産党」もとるに足りない地位に落とされ、それにかわってこれらの刊行物にはそれまで見られなかった「金日成同志とその戦友たち」「金日成同志と共産主義者たち」という語句がやたらに目につくようになった。しかし、こんど公刊された『略史』のそれと比べると、この時期のものはその徹底さにおいて相当のひらきがある。
『略史』は「朝鮮共産党」の果たした歴史的役割には全くふれず「宗派主義者が『破壊』に終始した」と一方的に強調しているだけである。抗日義兵など重要な歴史的闘争は後かたもなく削除されている。
前近代的な最高の敬辞
金日成の麗争が開始されてからは、他の系統、他の人物の指導による抗日闘争そのものがなかったようにつくりかえた。
それだけではなく、日帝の厳しい弾圧に耐えられず、1940年代初金日成一行がソ連入りしたことが様々な史実から明確なのに、それをひたかくしに隠し、あたかも満州に継続踏みとどまり、「自主的」に「解放」をかちとったとのべている。
『略史』はまた、叙述方法の面でも大きな変化を見せている。それ以前の刊行物では「金日成とその戦友たち」と、呼ばれていたのが、「その戦友たち」ははずされて金日成ひとりになり、それも前近代的な最高敬辞、「革命の英才であられ、偉大な思想家であられる金日成同志におかれては……」という形容句がつく。「偉大なる金日成同志」、「首領さま」という賛辞で『略史』は埋めつくされている感じを与えるほど多用される。それでも足りずに祖父母、父母、叔父、夫人など“血族”を都合のいい、重要な局面に自在に登場させ、金日成神格化をもり上げる役割を果たさせている。
あたかも、『略史』はわが民族の近代史の一部と現代史が金日成と、その“血族”の物語であるかのように記述されている。とかく社会主義諸国では権力者の都合によって史実が抹殺・ねつ造・改変されるといわれているが、それにしてもこんど公刊された『略史』は度をすぎるものである。現在の「北」が「女王蜂」に率いられている働き蜂の世界のような社会であるにしても、異様なものというほかない。
以下、新版『朝鮮労働党略史』の順を追いながら、その内容をただしていくことにしよう。
鄭益友(論説委員)
1980年5月7日号より抜粋