序曲(1)  金鶴泳 

日付: 2008年08月18日 00時00分

 ドアにノックの音がした。
「どうぞ」
 祥一は机に向かい、本に目をやったまま応えた。
 ドアを開けて入ってきたのは同じアパートに住んでいる伊吹健治だった。
 「金さん、飯を食いに行きませんか」
 すでに六時をすぎている。祥一もそろそろ飯に出ようかと思っていたところだった。
 共同炊事場があるが、大半が外食だった。伊吹も祥一もほとんど外で食事を済ませていた。
 「行こうか」
 伊吹の誘いはちょうどよいところだった。
 いい日和である。七月なかばで、まだ梅雨は終っていないのに、よく晴れてさわやかな風がゆるやかに吹いていた。散歩がてら食事に出るのにちょうどよかった。
 伊吹が夕食に祥一を誘うのが日課のようになっていた。寂しいか、あるいは無聊(たいくつ)なのだろう。その点は祥一も同じだった。
 一階と二階合せて八部屋ある簡易アパートで、兄妹二人で住んでいる者が二組いるから、住人はちょうど十人だが、このように気軽に食事に誘ったり、お互いの部屋を訪ね合ったりしているのは、一階のA号室に住んでいる伊吹か、でなければ隣室のF号室の岡田文夫ぐらいのものである。祥一の部屋はG号室だった。
 岡田は例によって碁会所に行っているようだ。岡田も、伊吹も、そして祥一も、同じ国立のT大学の学生だが、岡田は碁に凝って留年二年目であり、いまだに二年生である。つまり、まだ教養学部の学生だが、経済学部を志望している。


 伊吹は法学部三年だが、この四月から大学に行っていない。祥一は工学部合成化学科三年で、彼もこの一年は留年することにしている。
 三人とも留年を決め込んでいる、いわばアウトサイダーだった。留年の理由はそれぞれ異なっているが、アウトサ.イダーなりのよしみを無言のうちに感じ合っていた。
 夏とはいえ、外に出ると、夕方の涼しい風が吹いていた。まだところどころに畑の見られる西荻窪の町外れである。道路を隔てたアパートのすぐ斜向かいは、すでに操業をやめている時計工場で、場内のあちこちに樹木が鬱蒼(うっそう)と茂り、雑草も伸び放題になっている。
 「いい日だな」
 と祥一はいった。
 「うん」
 そんなことには関心がないという様子で、伊吹は顔を少しうつ向けながら歩いていた。考えごとに耽(ふけ)っているのだろう。そういう伊吹にはもう慣れているので、祥一の方でも気にしない。
 法学部の学生なのに、伊吹はいまドストエフスキーに熱中している。工学部の学生なのに、祥一も小説ばかり読んでいる。ついこのあいだ、祥一の部屋の本棚に、志賀直哉全集と太宰治全集が隣り合せに並んでいるのを見て、伊吹が怪訝(けげん)そうな顔をしたことがある。
 「志賀直哉と、太宰治と、どういう関連性があるんですか」
 「両方の気質が、ぼくの中にあるということだろう」
 祥一はいったが、
 「そういうこともあるんですかねえ」
 と伊吹は不思議そうだった。
 伊吹は二年生まで学生自治会の委員だった。三年に進級すると同時に自治会委員をやめ、大学に通うのもやめた。

 

木丁 画

1984年6月19日(火曜日)  4面掲載
 

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