まったく、祥一は、自分の人生の方向がわからなくなっていた。韓国も、日本も、大きく流動している。にもかかわらず、自分はそういった社会の動きとは関係のない自然科学に携わっている。社会変動とは無関係な生き方をしている。それでいいのか、という疑問が彼の裡を占めていた。もっと別な生き方があるのではないか。このまま行ったら、自分は技術者になるだけであ一る。そういう人間が、彼には機械人聞にしか思えなかった。不遜(ふそん)な感慨かも知れないが、自分の研究だけに安住している教授連中が、いまの彼には専門馬鹿にしか見えなかった。何か、もっと、別の生き方はないのか-それを考えるために彼は留年することにしたようなものである。
自分の場合はそれが主な理由である。しかし伊吹の場合はどうなんだろう。自治会活動の挫折感が理由だとすれば、彼はもっと虚脱しているはずだ。だが、祥一の見るところ、伊吹に虚脱しているところは感じられず、ときどきキッチンリバーで豪勢な食事をとって、ドストエフスキーをはじめとする読書に熱中している。碁に心を奪われている岡田文夫の場合とは訳が違う。せっかく法学部に進級したのに、なぜ彼は大学に行かないのだろう。
十字路を渡り切ったところで、さわやかな風がひとしきり強く吹きつけてきた。
「いい風だ」
祥一はそろそろ夕闇の迫りはじめている空を見上げた。
「うん」
と伊吹は顔を上げた。しかし、風のさわやかさには、相変わらず関心のない顔つきである。自分のほうから祥一を夕食に誘ったのに、目は遠くを見ているふうで、まるで横に祥一がいるのを忘れているかのようである。
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こんな不愛想な男が、よくあのとき引越し荷物の搬入を手伝ってくれたなあ、と祥一は、アパートに引越してきた日のことを思い返した。
その日の昼前、祥一が運送屋の小型トラックと共にアパートに着いたとき、アパートにいたのは伊吹と岡田の二人だけだった。アパートの住人は二人の勤め人のほかは留学生で、会社なり大学なりに出かけていた。留年中の伊吹と岡田だけが、アパートにいたのである。つまり、留年学生同士が、最初の日に顔を合せたわけである。
荷物は大半がダンボール箱に入れた本で、あとは机や、蒲団や、衣類を入れた行李(こうり)のたぐいだった。祥一と運送屋の男は、まずダンボール箱を二階の西はずれのG号室に運んだ。それから蒲団袋に入れた蒲団を部屋の前まで運んだのだが、G号室のドアはどういうわけか、他の部屋のそれにくらべて狭く、蒲団袋は部屋に入らなかった。どうしたものかと思案しているときに、手前のF号室の岡田がドアを開けて顔をのぞかせた。寝ていたところらしく、目をしょぼしょぼさせていた。
「蒲団袋が部屋に入らないんです。あとで袋を開けて部屋に入れますから、ちょっとのあいだおたくの部屋に入れといて貰えませんか」
岡田の部屋の入口は、蒲団袋が入れられる広さだったのである。
「ええ、どうぞどうぞ」
岡田は人なつっこい笑みを浮かべながらいった。人のいい学生であることが祥一にはすぐにわかった。岡田は自分の手で蒲団袋を自分の部屋に引き込んでくれた。
「隣りの部屋に越されてきたんですか」
「ええ。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
祥一と違って、性格の明るい、気さくな学生であることもわかった。
第3193号 1984年7月5日(木曜日) 4面掲載