ログイン 新規登録
最終更新日: 2025-03-25 16:19:21
Untitled Document
ホーム > ニュース > 文化
2025年03月04日 12:42
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
幻の大和朝廷第71回
新解釈日本書紀(続)応神

 金聖昊著・林英樹訳『沸流百済と日本の国家起源』は、大和朝廷が中国宋に朝貢したのは仁徳の時からで、仁徳は讃、履中の時には往来がなく、反正が珍の名で438年に、次が允恭の済で、次が倭王世子の興とされるが、安康の時にも往来がなく、興は安康の太子(世子)であった市辺押磐王と見ざるを得ないという。次が倭王の武の雄略とされる。つまり、倭の5王は、仁徳=讃、反正=珍、允恭=済、興=市辺押磐王、武=雄略ということになり、雄略(倭王武)後に中国南朝との交渉が絶えたという。
以上だが、応神元年(390)から雄略23(479)年までの実際期間は89年間となるが、その間の大王の在位年数は、応神41年、仁徳87年、履中6年、反正5年、允恭42年、安康3年の合計184年と雄略23年を合わせると207年になり、実際の期間より118年間、すなわち2周甲(120年)長くなっている。それは応神元年から生じた118年の差を解消させるために、その間の大王たちの在位期間を適当に延長させ、雄略23年に至って解消させたことによるものだというのだ。
2周甲(120年間)の時差が解消されるのは雄略23年の479年だということだが。日本史学界は、その2周甲の時差を悪用して、『三国史記』の年代や事績を好き勝手にいじくり回して、歴史を偽造してきたという。換言すれば、日本史学界は自らが望む形に倭地の歴史を捏造してきたということになる。
それは、『日本書紀』が史実を反映した史書ではなく、倭地の歴史はこうあってほしいと願う語句を散りばめた小説の歴史を綴った書になったということだ。倭地の歴史は、韓地から渡来した人たちによって築かれて行ったことを、ゆめゆめ忘れてはなるまいと思う。
雄略は、沸流百済の後裔であり、倭地における百済系大和王朝の基盤強化に大きな働きをしたと思われるが、その背後に昆支王の存在があったと思われる。その昆支王と雄略が同一人物の可能性もあるのだ。

〔清寧紀〕

飯豊青姫の不交宣言はクーデター宣言

雄略の没後に内乱状態となり、星川王子の挙兵に呼応した吉備上道臣らの船軍40艘を率いたことや、吉備臣尾代の配下の蝦夷の乱もそうだといい、ほかにも記録に残されていない多くの群雄の蜂起があったろうと見られている。
それに、飯豊青姫の不交宣言は、誰しも奇怪に思う事態であろうと考えられ、なぜ〈清寧紀〉に記述されているかということだが、それは清寧との関係断絶を暗喩するものであるとするなら、〈清寧紀〉のありようが明瞭に理解できるようになる。

뉴스스크랩하기
文化セクション一覧へ
都内で尹大統領弾劾反対デモ
限界なきハイブリッド戦 各国で世論操...
法治の根幹を揺るがす
「巨大野党が国を崩壊に導く」
金永會の万葉集イヤギ 第42回
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
北朝鮮人権映画祭実行委が上映とトーク
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません