富をなす根源は『仁』である
新札発行から半年が過ぎようとしている。一万円札は渋沢栄一だが、本来の表記は当然ながら澁澤榮一である。彼は一九三〇年に世を去っているので、この新字体による改ざんは知らない。このことを彼が知ったら落胆するに違いない。
漢字には意味がある。『榮』は木と上部の火+火+冖からなる。かがり火が木を燃やす様を表し繁栄を意味する。その原意は『栄』には無い。渋沢栄一は数々の事業を起こし繁栄をもたらした。
彼は『論語と算盤』を著し、道徳経済合一論を説いた。「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」とは名言である。一時的に繁栄したとしても永続するには「正しい道理」でなければならぬと権謀術数的な商才を強く戒めた。
それだけではなく、時の為政者たちにも「正しい道理」を求めた。なぜなら、国の経営も原理は同じであるからだ。特に重視したのが『仁』だった。仁政を基本としたのである。
漢字の『仁』の原意は何であろうか。説文解字に「親しむなり」とあり、「人二に從う」と二人相親しむ意としている。説文解字の時代、即ち後漢では「人と人が和する姿が『仁』」となっていた。しかし白川静は、金文や古文の字形を根拠に異を唱えた。「人が敷物を敷いている姿」であると解釈したのだ。だからこそ「和親」や「慈愛」の意が生まれたのであろうというのである。
性善説を唱えた孟子は「惻隠の心は仁の端なり」と説き、「幼い子が井戸に落ちそうになるのを見て、無意識のうちに助けようと思う気持ち」にたとえた。白川静が「人が敷物を敷いている姿」と解釈した感性は正しくここにある。それは敷物を敷く「暖かさ」であり、天からくる慈愛の情なのである。『仁』の始まりは根源的な愛情であり、人をいつくしみ、思いやる心なのだ。
仁に当っては師に譲らず
古来、日本では『仁』が政治の根幹であった。天皇の諱で最も多用されたのは『仁』である。仁徳天皇の治世は仁政の代表的なものだ。民の竈の逸話が今に伝わる。仁徳天皇は即位後、高台に登られ国を見渡された所、民の竈に煙が立っていなかった。これを目にし、「これは民が貧しいからである。三年間の徴税を禁止し、免税とする」と仰せになり実行された。
仁の成り立ち
『仁』は相手のことを「知る」ことから始まる。皇族が被災地を訪れる理由はこの「知る」ことを実践するからである。相手を「知る」と人は為に「祈る」。これが人の持つ根源的な情である。このような祈る心を持った政治を「しらす」というのだ。
今、韓国が揺れている。無政府状態の中で新しい出発にもがいている。この国は強大な国に挟まれ悲しみの歴史を積み上げてきた。中華思想という覇権主義の悪魔に蹂躙され、小中華思想や事大主義に翻弄されてきた。権謀術数の政治は限界を迎えようとしている。中華思想は孔子が作ったのではない。孔子は『仁』を人々に知らしめたのである。
渋沢栄一は『論語と算盤』の「仁に当っては師に譲らず」の項で次のように述べる。「道理正しき所に向うては飽くまでも自己の主張を通してよい、師は尊敬すべき人であるが、仁に対しては其の師にすら譲らなくもよいとの一語中には、権利観念が躍如として居るではないか。」と。
韓国は道徳の国であり儒教の国である。今こそ『仁』の真意を問い正す時ではないか。はたして混沌とした本国にそれができるのだろうか。正義を行使できるのは真実の道を歩んできた人々のみである。在日は葛藤しながらも真実の道を歩んできた。変えうる力を秘めているのは誰であるのだろう。(つづく)
水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。 |