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最終更新日: 2025-01-04 09:26:52
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2024年12月27日 10:35
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韓日の架け橋「在日」、皆さんのおかげです!
大韓民国の弁当王 李英悳・Hansot会長

 2025年、韓国と日本が国交樹立から60周年を迎えた。韓日は、互いの理解不足や偏見から、状況を見誤ったり相手を誤解したりすることがある。それは、文化や情緒に対する互いの認識の違いについて思いを馳せないまま、安易に「理解できない存在」とみなしてしまうからではないか。
そうしたなか両国の間で、互いの誤解を解き、縁をつないでくれる存在がある。韓日の架け橋「在日」だ。ルーツは韓国、故郷は日本というポジションにあり、両国の距離を縮めることができるという有利な立場にある。
本紙は、韓日修交60年通年企画として「韓日の架け橋『在日』、皆さんのおかげです!」を開始する。これにより、両国が「近くて近い隣人」へと変化していくことを願う。
新年号では、韓国に住む「在韓在日」の視点から韓日の姿を見つめてみたいと思う。(ソウル=李民晧)  ※取材協力=在外同胞庁

 「在韓在日同胞」。彼らは両国で長期滞在した経験を持つ。だからこそ、両国の共通点と相違点を知り尽くしている存在だ。「在韓在日」いわく、韓国に定着するまでの日々は紆余曲折の連続だった。いつしか日本よりも韓国での生活にすっかり馴染んでしまった彼らの本音と現状を伝えていきたい。

 在日同胞2世、李英悳(株)Hansot会長は、父親の勧めで母国留学したことがきっかけで韓国に定住することになった。最初は言葉の問題で苦労し、その後は事業を行うたび失敗に終わった。そんな中、弁当フランチャイズを創業し、ついに成功への道を開いた。Hansotは、韓国人なら誰もが知る弁当ブランドだ。880の加盟店があり、どこへ行っても見つけることができる。李会長は、在日という利点を生かして事業に成功することができた。

韓国で事業を始めたきっかけは。

「在日2世なので、日本に住んで日本国籍を取得するのが一番楽かもしれません。一方で、もっと自由にビジネスをするなら母国の方がいいのではないかという思いがありました」 

■父の勧めで韓国留学

初めて韓国に来た瞬間は。

「父の勧めで母国の語学研修に来て、そのまま大学へと進学することになりました。父は朴正煕大統領を慕っていて、国民によい暮らしをさせてやりたいという意欲を尊敬していました。父は朴大統領から、同じ血を引く在日同胞に母国への投資をしてほしい、との要請を受けました。何か母国に役立つことをしなければならないと決意したのでしょう。当時に建てたのが全羅南道初の観光ホテル、麗水観光ホテルです。ちょうど麗水には麗川化学工業団地が造成されており、外国人のための宿泊施設が必要なので。そんな愛国心の強い父から下されたのが『韓国に行って韓国語を学べ』という命令でした」

韓国トップのソウル大学法学部に進学しましたが。

「外交官が夢でした。しかし、日本では(韓国籍なので)ムリですから、母国で法学部を卒業し外交官試験を受けようと思っていたのです。その時、現職の大使に会う機会がありました。その方いわく、外交官は絶対にやめたほうがいいと。聞けば、すごく大変な職業でした。薄給で、ある程度の品位を保つのも難しく、外国に滞在して子供たちの学費を払うのも大変だったようですから」

それでどうしたんですか?

「勉強する理由がなくなってしまったんです。当時は3選改憲問題で、全国の大学のキャンパスで反対デモが激しく、大学は全部休校になりました。私の在学期間はほとんどが休校状態でしたね。外交官という目標も失い、卒業まではほぼブラブラしている状態でした」

その時、学んだこと。

「音楽が好きだったので、在日の留学生同士でバンドを結成しました。男2人はギター、女性は歌。当時のPPMというアメリカのバンドをまねた格好です。私が作詞作曲した曲(『一本道』)で、全国大学歌謡祭に出場し3位になった思い出があります。その後、歌手のウンヒからその曲を寄贈してほしいと頼まれたのです。『花のリングをつけて』というタイトルで編曲された曲はヒットしましたね」

■失敗続きの10年間

事業家としてのデビュー。

「大学卒業後、すぐにビジネスを始めました。父が支援もしてくれたのですが、そのたびに失敗しました。10年間はそんな状態でしたね。そんな時、(京セラの創業者)稲盛和夫さんの本を読み、今まで自分が見逃していたことに気づきました。ビジネスというのは、儲けだけを追求してはいけない、夢を追うべきなのだ、カネに執着したせいで失敗していたのだ、ということです。そうして始めたのがHansotです。稲盛さんの教訓から、自分が好きなこと、自分が得意なことを見つけるに至ったのです」

なぜ弁当なのですか?

「一つだけ人より秀でていると思うのは、美食家であることです。小さい頃から父に連れられて色々な店に行きましたし、特に地元の京都には美味しい店がたくさんあります。だからこそ味覚が育ったんだと思います。それで、思いついたのが弁当でした」

Hansotのコンセプトについて。

「(1993年7月7日)弁当事業を始めた時、他のチェーン店がたくさんありました。価格は3000ウォンから5000ウォン(約300円から500円)で、電話で注文すると配達してくれるシステムでした。そこで差別化し、確実に成功するために行ったのが価格破壊。コスト削減のため配達をしないというルールを設けました。そのため、韓国初のテイクアウト弁当屋を作ることになったのです。当時の韓国には男が食べ物を持ち歩く文化がなかったので、多くの反対に遭いました。うまくいくはずがないと」

1号店の開業は。

「1号店となった鍾路区庁店のオープン当日は大変な盛り上がりでした。お客様が何十メートルも列を作って弁当を買ってくれました。その日だけで1000個以上売れたので、たった8坪の店で売り上げた1日の額は予想をはるかに上回るものでした」

印象に残っているメニューは。

「1000ウォン未満のメニューを開発しました。豆もやしビビンバは、明洞で豆もやしクッパを食べていて思いついたものです。豆もやしなら白米とヤンニョム(味付け醤油)だけでもおいしく食べられるし、利益も出ると考えました。当時計算してみると、ご飯とおかず、容器を含めても500ウォン未満で作ることができました。そうして970ウォンのメニューが誕生しました」

1番人気のメニューと主な客層は。

「20年前から変わらず人気1位をキープしているメニューがあります。チキンマヨです。日本にも似たようなメニューがあり、それを応用して開発しました。醤油ソースとマヨソースをご飯に混ぜて食べるのですが、10代から30代までの若者に特に人気です。韓国風のおかずをセットにした『お坊ちゃま弁当』は、全年齢層に好まれるメニューです」

創業初期に苦労したエピソードは。

「こんなに売れるとは思っていませんでした。用意しておいた弁当の容器がなくなってしまい、売りたいのに売れない状況になることも。それで、しばらくは大阪で容器を購入しソウルに持ち込んでいました。日帰りで行き来していたので、ピンチだったんですね」

■IMF危機で急成長

IMF経済危機の時に急成長したとうかがいました。

「ウォンの価値が急落し、輸入食材が2倍、3倍に跳ね上がりました。取引業者も赤字を出すわけにはいかず、納品価格の引き上げを求めてきたので、私が各業者の社長を説得しました。今、国が大変な時期に、私たちのような一般市民を相手にした食品価格を上げるのはよくない。多少は損をしてでも納入価格は現状維持にしてほしい。為替レートが下がれば、その損害は補填できるはずだ、と」

結果はどうなりましたか?

「当時、近所のキンパ店からファーストフードのフランチャイズまで、2割から3割ほどの値上げをしていました。一方、HansotはIMF前と同じ価格をキープしていました。そうしたら、売上げがぐんぐん上がったのです。1年後、売り上げは2・5倍へと増えましたし、その流れで加盟店もかなり増えました。お客様と加盟店、取引業者、みんなが幸せな結果を得ることができたのです」

Hansotの理念。

「『温かい弁当で地域社会に貢献する』を理念としています。理念があれば、経営で難しい決断を迫られた時も簡単に答えが出るのです。IMFの時もそうでした。そして、創業時から重視したのがESGです。HansotのESG精神は『良心、思いやり、誠実』です。お客様の利益を最優先に考え、良い食材だけを使うこと、それが倫理的な経営であり、透明かつクリーンな経営だと信じています」

次世代に向けて。

「いつしか、日本よりも韓国で暮らしている時間のほうが長くなりました。日本で学んだ知識と経験が、韓国で事業をする上で大きな支えとなったのです。若者たちには『夢を持とう、せっかくなら大きな夢を』という言葉を伝えたいと思います。日々最善を尽くすことを習慣として、努力を続ければ夢は叶うと思います。諦めずに最後まで」

 

2025-01-01 8面
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