民団の創立者かつ本紙の創刊者・元心昌(1906~1971)義士による3・1万歳運動が公に認められた。京畿道は最近「平沢市の芙蓉山で3・1万歳運動が展開され、当時の万歳デモに14歳だった元心昌も参加していた」という内容の文献を公に認めた。
平沢での万歳運動は1919年3月9日以降、振威郡(平沢市の旧地名)一帯で行われた。芙蓉山では同年4月1日夜、近隣の住民らが「独立万歳」を叫びながらデモを行った。当時の状況について、元心昌義士も1969年3月1日付の本紙(当時の『統一朝鮮新聞』)に記している。
「4月1日の夜だった。夕食後、どこからか海が割れるかのような、はたまた地震が起きたかのような大声が聞こえてきた。驚いて家の外に出ると、目を疑うような景色が広がっていた。山の頂上は燃え、人々が一斉に『朝鮮独立万歳』『自由独立万歳』と叫んでいた。(中略)私は、その日(芙蓉)山の頂から見た光景が忘れられない。燃え盛る頂は火の海に包まれ、朝鮮全土、朝鮮の山という山がすべて燃えているように見えた。その光景は、過去のいかなるものよりも私に勇気を与え、励ましになった」
元心昌3・1万歳運動の記録が記された案内表示は、京畿道平沢市彭城邑の芙蓉山の入り口、観稼亭の前に設置されている。
(ソウル=李民晧)
元心昌をはじめとする芙蓉山3・1万歳運動案内表示 |