作品中のからたちの木と梅の木は意味深だ。からたちの木は軍事基地の外郭を取り囲む垣根の木だ。軍事基地は福岡の本営だ。
天皇の霊魂が彼の世への船に乗るために海辺に出ようとしたが、からたちのトゲのある垣根によって阻まれていた。(天皇の魂は)トゲが怖くて海辺に出られずにいた。からたちの木々をめぐらせた軍事基地・福岡からは、彼の世へ行こうとしても行けなかったと言っている。葬儀の遅れのことを語っている。
もう福岡を離れたから、飛鳥にいる女人たちが梅の木のあるところを教えて、あの世に行けるようにせよという歌なのだ。実際、この歌の通り、斉明天皇は女人たちに案内されてあの世に行くことになる。このことはこれから説明する。
母親の葬儀をすぐに執り行えず磐瀨宮に仮安置しなければならなかった息子の辛い気持ちを歌った、この上ない悲しみの歌だ。作品の具体的な解読は次の機会を約束する。
中大兄皇子のこの「梅花歌」も高度な隠喩を用いて詠まれた作品だ。からたちの木と梅の木の隠喩を悟らなければ、誰も梅花歌を解けないはずだ。
この作品に対するこれまでの解釈をみてみよう。研究者たちは、からたちの木と梅の木の隠喩が分かったのだろうか。
「君ガ目ノ 恋シキ故(カ)ラニ 泊(ハ)テテ居テ 此(カ)クヤ恋ヒムモ 君ガ目ヲ欲リ」
(あなたの目が恋しいばかりに、ここに船泊まっていて、これほど恋しさに堪えないのも、あなたの目を一目見たいばかりなのです)
この1000年の間、日本の研究者たちは梅花歌を前述のように解いてきた。中大兄皇子の辛い思いを理解したといえるだろうか。
皇太子はどこで梅花歌を詠んだのだろうか。おそらく母親の思い出が宿った場所だろう。筆者は、それは熟田津の浦だと思う。
斉明天皇が9カ月前の1月に満月を眺めながら「百済を攻撃した新羅の太宗(武烈王)を誅殺してほしい」と天に祈った歌、万葉集8番歌を作ったところだ。
中大兄皇子は飛鳥に向かう途中、熟田津に船を停泊させ、母親と一緒に過ごしたその頃を思い出して涙を流したはずだ。
天皇の亡骸は11月7日、飛鳥川原宮(あすかのかわらのみや)に到着した。死後4カ月が経っていた。飛鳥川原宮は、斉明天皇が福岡に出発する前に執務されたところだ。からたちの木で重ね重ねに囲まれていた福岡から、梅の木が生い茂った住み慣れた所に戻ってきたのだ。
すぐ葬儀が行われた。母を見送る日、中大兄皇子がもう一つの歌を作った。万葉集91番歌だ。
妹之
家母 繼 而 見
麻思 乎 山跡有
大 嶋 嶺尒 家母有
猿尾
さようなら、斉明天皇(12番、15番歌、日本書紀の梅花歌・猿尾歌、91番、92番歌) <続く> |