中大兄皇子は斉明天皇の遺体を近くの磐(いわ)瀨(せの)宮(みや)に移した。臨時の安置所である。磐瀨は「蟠る+瀬」という意味の文字で構成されている。瀬の水が流れず、一時停まるという意味だ。葬儀の一時保留である。
さてその頃、民心が動揺し、流言飛語が広まった。夕方になると朝倉山の上に鬼神が現れ、大きな笠をかぶって下を見ていたと言われた。大きな笠をかぶった鬼神は天皇を迎えに来た冥界の使者だったのだろう。使者があの世から来たのに、葬儀を行っていないので、朝倉山一帯を徘徊しているという話だ。人々はまた、天皇の死は神木を伐ったことに対する朝倉社の神の怒りのためと噂した。
不安が福岡に重くのしかかった。だが、中大兄皇子はそれらをまったく気にせず、白い喪服で軍務に専念した。目が回るほど忙しかった。即位を先延ばしにし、西征の計画を揺るぎなく進めた。武器などの軍需品を大急ぎで百済に送った。また、倭国に来ていた百済・義慈王の息子である豊璋を百済王に即位させ、大規模な兵士とともに百済に送った。中大兄皇子が百済の王を任命したのだ。
百済王の任命、軍隊の派兵、武器支援など火急の仕事を処理してから初めて天皇の葬儀を行うことができるようになった。死去から2カ月も経っていた。斉明天皇の亡骸は船に乗せられ飛鳥へ向かった。
斉明天皇の諡号も決められた。「斉」は「整然としている」である。政治をするにあたって、息子の中大兄皇子と「きちんと行った」という意味だ。これは万葉集15番歌で見られる。中大兄皇子が作者である15番歌には「政治を私と一緒に(比)してくださった」と母親を回顧している。「明」は「賢明」という意味だ。
瀬戸内海を航海する途中、皇太子はとあるところで船を停泊させた。そしてそこで歌を一つ作った。この歌は万葉集ではなく、日本書紀に収録されている(斉明天皇7年10月の条)。歴史書に載っているから、史料といえる。
枳 瀰 我 梅能姑衰 之
枳舸羅
儞 婆 底底 威 底
舸 矩 野 姑悲 武 謀
枳 瀰 我 梅 弘報 梨
福岡のからたちの木の垣根めぐらした所から海辺へと強情に行こうとされたんですね。
飛鳥の梅の木々にはきっと女性たちが集まっているよ。
からたちの木の垣根の外に冥界へ行く船があるな。
あなたはからたちの木々の垣根に行手を阻まれ、塞がれて怖かったよね。
塞がれて出られずにいましたね。
彼の世への船が着く海辺に住む女人たちは悲しまなければならないよ。
話し合わなければならないよ。
福岡のからたちの木の垣根めぐらした所から海辺へと強情に出ようとされたんですね。
飛鳥の女人たちは梅の花が咲く所を大声で知らせ、そこに来るようにしなければならない。
さようなら、斉明天皇(12番、15番歌、日本書紀の梅花歌・猿尾歌、91番、92番歌) <続く> |