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最終更新日: 2024-10-22 13:26:34
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2024年09月10日 11:51
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第51回 伴野麓

 文化程度が高まった時点で歴史書が完成したため、それ以前の歴史は不明であったと切り捨てられてしまったということになろう。百済を建国したのは温祚というのが通説だが、実際は母の西召努(ソソノ)であり、長男の沸流が漢江下流域を統治した。AD18年に漢江下流域を弟の温祚に託し、居抜城(熊津=忠清南道公州)に遷都して、百家済海(百済)という海上王国を目指し、海外へ進出して強国となった。ちなみに温祚の国は十済と称された。
沸流は、AD100年頃には倭地の九州地域を征服し、百済王室の子弟宗親たちが統治したという。それを檐魯(淡路)といい、第10代崇神から第14代仲哀まで、沸流百済の淡路洲(植民地)であったとしている。沸流百済は晋の時代(AD214~420)、遼西と晋平の2郡を領有し、楊子江まで進出したと記録されている。遼西は柳城(現在の朝陽市)で、晋平は北平であり現在の北京のことだが、そうした事績は、逆に服属された期間として見なされてしまい、その強国としての歴史が、埋没されてしまっているという。
強国であった沸流百済は、AD397年に高句麗国広開土王によって撃破され、王族は倭地に亡命した。その時代は、日本では応神朝の頃と見られている。大和に侵寇し、百済系大和王朝を突如樹立して自らの存在を黒子にし、倭地の影の主人公に収まっていく。

日本民族の歴史を抹殺した偽史

万世一系の皇統という先入観がいかに大きな神通力というか、弊害というか、歴史を見る目を大きく狂わせているかを垣間見る思いにさせられることがしばしばある。そのような雰囲気から、爾来、天皇家を云々することは、戦前にあっては不敬罪に問われ、戦後にあっては自粛するというムードにあるように感じる。
従来の史観は、武埴安彦の乱、狭穂彦の乱、日本武尊の熊襲征討譚等々、一過性の不可思議な記事がいろいろと挿入されているにもかかわらず、神話として片付けられ、その不可思議さを検証することもなく、不問に付してきてしまったきらいがあると感じている。
『日本書紀』は、その時代ごとの為政者らによって、極秘裏にいじくりまわされ、改竄されたのではないかという疑念が湧いてくるのだ。『神皇正統記』によれば、「日本は桓武御代に三韓と同種であるという彼書を焼却放棄」したとあり、征韓論に始まる明治政府の歴史改竄も破廉恥そのものであったと指摘されている。例えば、明治時代には、『日本書紀〈神功紀〉』62年条、広開土王の碑文、石上神宮七支刀の銘文が、3点セットで改竄されたという。
貧農上がりの足軽であった林利助、改め伊藤博文は、万世一系を天皇家の血統であるとして、国民にウソを強要する憲法を作り、そのウソを普遍化するために問答無用の暴力的権力をもって、一人の天皇の出自を隠蔽するために日本民族の歴史を抹殺し、あるいは日本史を偽造したため、歴史学は学問として成立できなくなったと、古史古伝学の大御所が痛烈に指弾している。

2409-11-06 6面
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